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短編小説「三点リーダーの女」

3年ほど前にX(旧Twitter)のトレンドにも入っていた「三点リーダー症候群」。
私はその頃、それ(…)のモンスターのような女性と日々を過ごしていた。現実と非現実のあわいのような日々を……

令和3年4月某日

「だからいつも言ってるけど、三点リーダー使いすぎ! これじゃ、読者は迷子になるの。曖昧さに逃げないで」
荒立てた声で話し、苛立ちを隠せない編集長に向かい、彼女は慣れた様子で、赤べこのように頭を下げている。

彼女とは、2年前に同期入社した下釜玲子のことである。縁故採用と噂されているが、その真相は未だに分かっていない。

玲子は原稿を握りしめ、唇を噛みしめながら私の横の席に戻ると、はぁ〜〜と、深いため息をつきながらデスクに突っ伏した。
「大丈夫!?」
ツンツンと肩を軽く突いて声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げて「大丈夫よ……ねぇ、これ修正したら、ランチ付き合ってくれる!?」と、涙声で誘ってきた。私は早起きして作ったお弁当を無駄にはしたくなかったが、同期のよしみで付き合うことにした。

ランチは会社からほど近い、私のおすすめのイタリアンへ。彼女はスタッフに通された席に着くなり、私に訊いてきた。
「ねぇ、三点リーダーを使うことって、そんなに悪いことかな?言葉に余韻や曖昧さを持たせることって、すてきなことだと思うんだけど……」
この訊き方もソレなんだよな。
彼女は文末に「…」を多用する、俗に言う〝三点リーダー症候群″なのだが、日常会話にもこの〝てんてんてん″を頻繁に使ってくるからタチが悪い。常に彼女の感情の隠れ蓑みたいな空白を想像しながら、自分の気持ちを投げ込まなければならないから大変なのだ。「…」を察したり、「…」の決断を委ねられたり、彼女と話していると思考回路がショートしそうになる。

「頻度の問題じゃないかな。全体のバランスを考えて適度に使えば良い効果があると思うよ」
私は必死に絞り出し、ランチのメニュー表を彼女に渡した。
彼女は、そこはかとなく納得していないような表情をしている。そして、彼女の目を見ていると……だんだん三つ目小僧に見えてきた。彼女のつぶらな瞳までも、てんてんてんに……ひーっ、怖っ。

「見ずに決める」
メニュー表を置いて、彼女がぽつりと言った。
「えっ、水木しげる!?」
私は頭で巡っていることが言葉に出てしまうタイプである。
「何? 水木しげるって!?」
笑いながら三つ目小僧が言った。
「いやちょっと、発音が似てるからさぁ……あはは」 いかん、いかん、すっかり妖怪モードに入って、うっかり水木しげるが出てしまった。
「メニュー表いらない。由紀ちゃんと同じのにするから。私、由紀ちゃんの舌を信用してるから……」
見ずに決めるってそういうことね。てか、また三点リーダーじゃん。美味しくなかったら、私のせい!? もしくは信用した私(彼女自身)のせいってなるよね。どっちも気分悪いわ。

そういえば、以前彼女が付き合っていた彼氏と別れた時も「由紀ちゃんの目は確かだから……付き合う」って言って、その後すぐに別れて、私が申し訳ない気持ちになったんだった。

こうやって私は入社して2年もの間、彼女が私に委ねる空白や余白の解答欄を、洗脳されたかのように埋め続けた。常に断定を避け、曖昧な世界を楽しむ彼女に翻弄され続けてきたのだ。

その夜、私は悪夢を見た。
てんてんてん、てんてんてん、… … …と呟き、薄ら笑いしながら、三つ目小僧(玲子)が私に迫ってくる夢を。

妖怪のお陰で寝不足の朝、編集部の休憩コーナーでコーヒーを飲んでいると、同じく疲弊しきった様子の無精髭の男が近付いてきた。同期入社のカメラマンの芳川翔太である。彼は専門卒なので、私より2歳下の22歳だ。
「おはようございます……」
彼は今にも消えそうな、力のない声で挨拶してきた。
「どうしたの!? その無精髭に、目のクマ」
そんな私の問いに、彼はすがるような目で相談をしてきた。
「ちょっと聞いてくださいよー。彼女に振られたんです、前触れもなく」
私は芳川に彼女がいることさえ知らなかった。
「それは辛いね。てか私、彼女いたのも知らなかったんだけど」
彼はうなだれながら続けた。
「彼女から口外しないように言われてたんです。社内恋愛だから知られたくないからって」
「あぁ、そういうことね。で、誰なの!?」
何となく嫌な予感がする。
「あ〜、もう振られたから言っちゃいますが、玲子さんです。下釜玲子」
「ハッハッハッ、私の隣の玲子なんだ」
笑いながらも、ショックだった。彼女から何度も恋愛相談を受けていた相手が芳川だったからだ。三人とも同期だし、教えてくれたっていいじゃないのよ。そして相手のイメージが芳川とかけ離れすぎて気づけなかった自分を悔いた。
「で、いつ頃からなの!?」
「半年ぐらい前です。でも付き合い始めからずっと彼女の本心が掴めていなかったと思います。僕は何事も常に彼女から試されている感じで……結局どれも間違っていたのかな。だから振られたんですよ」
そして彼は、「何か僕、おかしなこと言ってます!?」と私に訊きながら、ポケットからスマホを取り出して、彼女とのLINEの会話を見せてくれた。
予想した通り、そこには夜空に輝く星のごとく、てんてんてんが散りばめられていた。
「こんなのといちいち対峙していたら、頭おかしくなるわ。芳川!逆に別れてくれてありがとうだよ」
他人のやりとりなら、こんなにも冷静に見られるものなのね。彼女の三点リーダーにずっと翻弄されてきた彼の苦しみは、痛いほど分かった。

隣で切れ目なく鼻を啜っている芳川を慰めていると、編集長が耳を疑うような話を始めた。
「ちょっと皆さん聞いてください。編集の下釜さんから今メールで退職願が届きました。今日からもう出社しないそうです」
編集部内がザワつき始める。
「えっと…… それから営業部の山下課長からも退職願のメールが届いているそうなので、広告関係で山下課長と絡みのある方は、田辺次長の方に相談してください」
ん!? どういうこと!? ふたりともメールで退職願っていうのもぶっ飛んでるし、それが同じタイミングというのもおかしいよね……
一瞬にして編集部の雰囲気が殺伐となった。

更にうなだれて、床に膝から崩れ落ち、スライムみたいにだらんだらんになっている芳川が、泣きながら呟いた。
「これ多分あれだ……不倫で駆け落ちだ」
誰もが察していることだよ、芳川。
そりゃ、彼女の余白を正解で埋められないよね。彼の振られた理由の三点リーダーは、想像の斜め上を行っているのだから(遠い目)。

想像の斜め上で考えると、玲子から受けていた恋愛相談の相手が山下課長だったと気づく。イメージ通りである。決して芳川ではない。そして落胆した。私はその恋愛を応援していたからだ。

足元にスライムを絡めながら、呆然と立ち尽くしていると、LINEが入ってきた。
下釜玲子だ。

由紀ちゃん、今までお世話になりました。
最後までご迷惑をかけてごめんなさい。
またいつか会えますように……

芳川へのLINEの最後のメッセージも「またいつか会えますように……」だった。
私たちと彼女の関係は、三点リーダーで終わった。続きがあるかもしれないようで、何もなかった。

それから1カ月ほど経ったある日、芳川と休憩コーナーでコーヒーを飲みながら雑談をしていると、彼が不思議そうな顔をして呟いた。
「そういえば、三つ目小僧来なくなったな」
「ん???」
「いやいや、何かここのところおかしくなってたから、幻覚見ていたようです。気にしないでくださいね、もう大丈夫ですから」

……玲子はやっぱり妖怪だったのかもしれない。
山下課長はどこへ連れ去られたのだろうか。

彼女は私たちの前から消えても、どこかでまた、空白や余白を感情の隠れ蓑みたいにして、そっと誰かに忍び寄っているはずた。

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