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昨日はおだやかな秋の空でした。
中学生の頃、
「青空を見たい!」
と強く思ったのを覚えています。その頃も見上げれば空はそこにあったはず。
私の中の何かが邪魔をして、空の美しさを感じ取れていないと思ったのでしょう。
月日が経ち、自然の美しさを素直に感じられるようになりました。
先週から、詩篇を一日1章ずつノートに書き写しています。
疲れているときは休んでも良いと決めて数日取り組みましたが、逆に書くことで体の疲れはなんだか癒され、心のモヤモヤがスーッと落ち着いていくという、不思議な感覚です。
ひとすじの光が、私を整えてくれているようです。
実家から帰って日常生活に戻りました。ほっと一息ついたところです。見上げると、すっかり紅葉していました。
祈りを通して幸せを見い出し、健やかに過ごせますように。
「あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」(ヨハネの手紙Ⅲ 2)
今週水曜日に半年ぶりに実家に帰ります。
クリスチャンの妹家族にも会えます。
私の人生は、小学校の時に突然訪れた転校から大きく変わり、とても苦労しました。
その中での恵みは、近所に神様を信じる家族が居た事です。妹がその家族の所に嫁ぎました。
良きひとときになりますように。
朝降っていた雨が止んだので、散歩がしたくなりました。歩き出すと、空も木の葉もキラキラと輝いて見えました。
雨上がりの良さを再発見。
雨が降らなければ感じられない不思議。
「あのことさえなければ…。」
悔やむ過去も、その痛みからしか得られぬ確かなものがあると信じたいです。
最近の私の生活は、とてもシンプルになってきました。以前はあれもこれも手をつけ、バタバタと忙しく過ごすことで充足感を得たかったのかなと振り返っていますが、十分休んで、じっくり自己を見つめてみると既に与えられているものへの感謝と、それらを磨いて生かしたいなという思いになります。
休むとまた歩き出せる
散歩道の紫陽花が美しく、雨の日も心を照らしてくれています。花の存在は、本当にあたたかく、太陽のよう。感謝なことです。
書道の課題をしようと予定を立てていたのに、疲れが溜まっていたのか、なかなか手をつけられずゆっくりと休んでいた週末でした。
気が済むまで休むと、ふっと軽くなる瞬間があり、そこから活動開始。
なんとか目標としていたところまで進めることができました。
私は、休むことに罪悪感を持っ
“苦い根”と向き合っていました。何事もなくうまく進んでいるように見えても、スルーできなくなっていました。気づいた時が最善の時!そう思って神様に心の奥を打ち明け、祈っています。
「根が聖なるものであれば、枝もそうなのです。」(ローマ人への手紙11:16)
一月半前に、妹と会いました。約3年ぶりでした。「お姉ちゃん、元気になったね。」と喜んでくれました。
新しい仕事を始めて、1年が経ちました。疲れた時は迷わず、“無理をしないこと”を心がけています。そうすると、祈る力が湧いてきます。
通勤途中に見る草花が癒しです。