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元板前の考える労働問題。人はなぜ「じゃあ辞めます」と言えないのか?

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19/01/09加筆修正
19/02/02加筆修正

板前っていうのはブラックな業界である。

毎朝4時に起きて、遅くとも6時前には職場について仕込みや支度を開始する。夜は22時に帰ってこられれば御の字で、午前様も珍しくない業界です。
勤務時間に関しては覚悟してた。想像を遥かに超えてはいたが、まぁ覚悟はしてた。

職場でミスが起これば新人である自分の責任になる。
僕自身頭が悪く、物覚えも悪く、間も悪い人間なので、完全な自己責任の失敗も多いのだけど、しかし先輩がミスをしてもそれは

『そこに気づいてフォローできなかったおまえが悪い』

という理屈で、私の責任になるらしい。なぜだ。

先輩の機嫌が悪ければ何も失敗をしていなくても怒鳴りつけられるし、人格を否定されるし、古い世界なので暴力沙汰も日常茶飯事でした。

時間外労働も多い。フライヤー(揚げ物用の調理器)の油を交換するのはもちろん下っ端の自分の責任であり、仕事なのだが基本的に時間外に行う仕事になる。
仕事ってなんだっけ?

板場(調理場)や調理器具の清掃も下っ端の自分の仕事だ。やっぱりこれも勤務時間外にひとりでセコセコ行うことになる。
仕事ってなんだっけ…?

ウチの職場はまだマシなほうだったらしく、板前友達の話しを聞いたり、ネットで同業者の話しを読んだり、極めつけは親方の友達(他所の親方さん)の話しを聞く限りもっと酷いところはザラにあるらしい。
まず暴力・体罰が現代で当然のようにまかり通っている。
以前遊びに来た他所の親方さんなどは、勢いで体罰が行き過ぎて流血沙汰になってしまったことを何故か自慢げに話していたし、兄貴衆や親方はそれを笑って聞いていた。

この業界は切実に狂っていると心底思った、平成末期の話しである。
そこらへんから追い込まれてうつ病で僕は板前を引退することになったのだけど、その辺りは長くなるし別で動画にまとめてあるのでそちらを見て欲しい。

▼僕がうつになった経緯と、そこから這い上がる為にしたこと。

長い動画なので、倍速とかで聞き流していただければ幸いである。
リアルうつ病患者の叫びを煮詰めた内容になっているので、人によってはメシウマ出来るかもしれない。保証はしない。

正直に言おう。
自分で選んで調理の世界に飛び込んだ私だけど、3ヶ月も経たない内から
「じゃあ辞めます」
って言いたくなったことは数えきれないほどあった。

今にして思えばあの時に言っておけばうつ病なんていう地獄を味合わなくて済んだかもしれないと思うわけだが、でも、言えなかった。
なぜ言えなかったのか。金が無いからである。
これが問題だ。

私だけではない、現代の、日本全体の、そして下手をすれば世界の問題である。

▼▼▼

生憎と世界を語れるほどビッグな人間でもなければ、博識でもないので今回は己の身の回りレベルで考えてみよう。

そもそも何故に労働問題というのはおこるのか。
何故に人は働くのか。
答えはやはり同じく、金がないからである。
しかしこれだけではやや回答としては不十分だ。

資本主義社会において、人間は金を食らって生きている。
牛が草を食べるように、獅子が肉を食らうように、人は資本を貪って生きている。

牛は牧草を求めてさまよい、良い牧草地が見つかればそこに留まって、あらかた食い尽くせばまた別の牧草地を求めて移動する。
獅子は幼いころから遊びの中で狩りを学び、大人になればシマウマを狩り、ヌーを狩り、ガゼルを狩って生きている。

じゃあ、人間はどうなんだろう?
果たして幼いころから僕らはお金のことをどれほど学んだんだろう?

車輪の国、向日葵の少女というゲームにまなと言うキャラクターが登場します。

いわゆるヒロインとかではないんですが、個人的に非常に印象深いキャラクターで、そんな彼女の台詞に
『学校で勉強するのは、いま働かないけど、そのうちお金をたくさん貰うんだよってことでしょ?』
というのがあります。

長い人類史の中で資本主義は不安定ながらも絶対に近いものになった。
裕福な家庭に育っても、貧しい家に生まれても、あらゆる子供は分け隔てなく資本主義の世界に放り込まれる。
教育とはそのための準備期間の「はず」なのです。

しかし実際問題、日本の学校教育ではお金の勉強をする機会なんてトンとありません。何故か。
資本の世界に身を投じるための準備期間に、その勉強を受ける機会がないのは何故か。
狩りを学ばなかったライオンが将来どうなるか、そんなん考えるまでもなく明白ではなかろうか。

我々はお金を稼ぐために企業に属します。
牛が牧草地を探すように、我々も企業を探して雇用契約を結ぶわけです。
牛は牧草地が枯れれば、おかしな言い方だけど牧草地に見放されれば、次の牧草地を探して旅立ちます。

しかし
僕たちは
どうだろう?

あるところに真面目な男がいました。
ある日、男は会社にクビを宣告されました。
そして男は、電車に飛び込みました。

この単純明快なストーリーが理解できない人は、まあたぶん居ないでしょう。
クビを切られた男は絶望の末に死を選択したわけです。

しかし、いや、ちょっと待ってほしい。
何かおかしくない?

牛は牧草地が枯れれば次の牧草地を探して旅立つわけです。
決して草が枯れたことに絶望して、谷に身を投じたりはしない。
断じてしない。

なぜ会社にクビを切られただけで、死を選ぶほど絶望しなければならないのか。
たかが企業ひとつに、なぜ我々はそこまで依存しているのか。
たかが、そう、たかがいち企業ですよ?
答えは最初のほうで書いた通りお金が無いから、じゃないんですよ。

▼本noteより引用
そもそも何故に労働問題というのはおこるのか。
何故に人は働くのか。
答えはやはり同じく、金がないからである。
しかしこれだけではやや回答としては不十分だ。

正しくはお金を稼ぐ力がないからです。

仮にクビを切られたところで、企業に頼らず、自分で自分を養える程度に稼ぐ能力があるのなら絶望する必要はないんです。
個人で稼ぐ能力がないから、企業に依存するしか金を稼ぐ術を知らないから、理不尽な雇用契約にも目を瞑るしかなくなる。
不満も不安も呑み込んで、無茶な命令や、理不尽な物言いをされたとしても
「じゃあ辞めます」
と言えない理由がコレです。

僕らには基本的人権として『職業選択の自由』が保証されています。
これは明文化された、立派な権利です。
だけど、行使できない権利に、いったいどんな意味があるのか。

これはおかしなことなのだ。

会社にクビを切られただけで絶望して死を選ぶのは、
本当はおかしなことなのだ。

会社にクビを切られただけで路頭に迷うというのは、
本当におかしなことなのだ。

「貴方はこの会社にどのような貢献ができますか?」

面接でお約束の質問だが、こんな質問が当然のように飛び交うのがそもそも異常なことなのだ。
本来ならばその企業に勤めることで、個人の人生がどれだけ豊かになれるのかが問われるべきじゃなかろうか。

少なくとも私が板前として就職したのは、職場のためじゃなく自分のためだった。

▼▼▼

わたく氏の大好きな映画のひとつ、V for vendettaにこんな台詞がある。

「国民が政府を恐れるのは間違っている。政府が国民を恐れるのだ」

まさに然り。
そしてこれは国民と政府だけじゃなくて、企業と社員の関係でもいえるはずなのです。

「じゃあ辞めます」

そう言える相手に理不尽な雇用契約はたたきつけられなくなる。
そう言える社員には、無茶な命令や理不尽な物言いはできなくなる。
そう言える社員が増えれば、自然と企業は人権を考えざるをえなくなる。
やむを得ず社員の自由を制限する場合にも、細心の注意を払うようになる。

しかし現実はどうなっているかといえば、ブラック企業なんて言葉が世界に浸透してきたにも関わらず、そんな企業は未だ世に蔓延り続けてる。
ジャパニーズサラリーマンはスタミナドリンク片手に、今日も社畜にいそしんだり、線路に飛び込んだりしているわけです。
レッドブルに授かった翼で地獄へまっしぐらである。ふぁっきん。

なぜ我々日本人は、こんな雇用依存体質に陥っているのか。
「お金の教育をしない学校教育が悪い!」
と喚き散らしてお酒に溺れるのは非常に楽だけど、それじゃ何も解決しないのでちょっと深掘りして考えてみよう。

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ソース:国土交通省、ライフスタイル・生活専門委員会配付資料http://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/keikaku/lifestyle/9/lifestyle_shiryou.html

さて、ちょっと古いけど資料を掘り起こしてきたので見ていただきたい。
半世紀前、1950年代には労働者の半数以上が自営業か家族従業者だった。
雇われで生活していた人はふたりにひとり以下だったわけです。

つまりかつては、各々の家に、個人に、雇用契約に依存せずお金を稼ぐ能力があったわけです。
それは例えば農家であったり、漁師であったり、左官屋であったり、板前であったり。
様々ではあるけれど、一昔前は過半数の家庭が企業に依存していなかったのが日本という国でした。

今とは真逆ですね。

しかしこの数字は年々入れ替わっていって、グラフの最後(2004年)では9割近くが被雇用者になっています。
近年の詳しい&分かりやすいグラフが見つからなかったので憶測になりますが、今ではもっと上がって9割を裕に超えていても全く不思議じゃありません。

誰かもっと新しくて詳しい情報をお持ちの人が居れば教えていただければ嬉しいです。

さてこの怒涛の雇われブームの裏になにがあったのか?

歴史はずっと3以下だった自分でも、コレくらいはすぐに分かります。
戦後復興、高度経済成長からのバブル経済です。

蛇足ですが、日本の歴史教育は年号とかイベントの名称ばっかりで
・その時なにがあったのか?
・なぜそれが起きたのか?
を軽視しすぎだと思うのです。閑話休題。

戦争が終わって、それまで国家を上げて軍事に傾いていた世間が一気に揺り返します。
負けるはずのない戦争、神の国が破れ天皇陛下が敗戦宣言をしてるだけでも大事件なのに、そこへ国連や米国の介入もあって常識が一変します。

焼け野原になっていた本土と経済を立て直すため、戦後復興のため、日本全体が一丸となって動き始めました。
当時はとにかく、何もかもが足りなかったわけです。
欲しい物以前に生活するための物が足りていない、必要な物の生産が追い付いていない。
目的が打倒鬼畜米兵から日本復興に切り替わり、過剰な不足が生まれ、不足を埋めるために社会はフルスロットルで回り始めました。

先人の努力のおかげで復興がなり、ある程度の余裕が生まれてくれば欲も出てきます。もっといい物を。もっと楽しい物を。もっと欲しい物を。
白物家電3種の神器とか有名ですね。
昭和の人々の大多数は雇われて生きる道を選びました、所得を増やし、自由を拡大するためです。

ちょっとした余談ですが、私のおばあちゃんから聞いた話しだと現在から40年ほど前まで(大体1980年代)までは物々交換が国内でも普通に続いていたそうです。
実家は農家なのですが、お金がないので服を買うのも、魚を買うのも、肉を買うのも、畑を借りるのもお米で支払っていたそうです。
僕の両親の結婚式で使った花嫁和装も、先祖から引き継いだものと合わせて、米で買った衣装を加えて賄ったそうな。

田舎だったから、というのはもちろん大きいと思います。
ただ話を聞いていて面白いのが、その田舎社会だと支払いはお金よりもお米の方が喜ばれたそうです。
当然ですが今ではお米でお買い物ができるお店なんて、近所にはありません。
というか国内でそんなお店、いまだに現存しているんだろうか…?

常識というのはその時、その場、その状況での多数派の認識でしかない。
ということは忘れないようにしたいですね。
おばあちゃんもよく「お米を買って食べる時代が来るなんて思いもしなかった」と話しています。

僕が子供のころはスマホどころかガラケー(携帯電話)なんて概念すらなかったし、PCやネットだって小さい頃はこんなに普及するとは思ってもいませんでした。
5年、10年で常識なんて覆る物です。閑話休題。

自動車に乗る自由。
白物家電を買い揃える自由。
年に1度、家族旅行へ行く自由。

新しい自由を得るために、今までの自由を手放して雇われるのがどんどん当たり前になっていった時代です。
今までと違う事をするというのはノウハウがない、手探りということです。
当然辛いこと、大変なことも多かったと思います。
片づけても次から次へと押し寄せてくる仕事に追い回されて、四苦八苦したことでしょう。

「24時間戦えますか?」

というコピーはまさにその象徴でしょう。

当時はどれだけ作ろうが、過剰な不足を補いきれる状況じゃなかったわけです。それこそ24時間働いても大真面目に足りない。
札束を掲げないとタクシーが止まらなかった、なんていうのはバブル期のよく知られた笑い話ですね。
当時の日本人はなぜそんなに頑張れたのか、現代の社畜たちと何が違ったのか。
答えは非常に単純明快です。

「努力が返ってきたから」

この一言に尽きます。
従業員は企業に盲従するかわりに終身雇用、年功序列、年功賃金を手に入れたわけです。
日本のピラミッド型組織構造が時代にガッチリ噛みあって、日本経済と日本企業は大躍進しました。

一度職にありつけば、己から辞めない限りは自分と、自分の家族の生活が保障されたわけです。
だから慣れていない、新しい環境や仕事にも歯を食いしばって頑張れたんです。(おばあちゃん談)
働けば働くだけ社会が潤い、企業が潤い、そして何よりも己の懐と生活が潤いました。

ただちょっと思い出してほしい、今は昭和じゃない。
というか20世紀ですらない。
鉄腕アトムやドラえもんが生まれているはずの、何かSFじみた凄い技術がポンポン発明されている21世紀です。
バブルなんて遠い昔に弾けてるし、終身雇用なんて今は昔の思い出話になった21世紀です。

それなのに企業が従業員に要求することは当時と変わっていません。身を粉にして企業のために尽くせよ、と。
個人や家庭でお金を稼ぐ能力を放棄して、企業を恐れ、依存するようになってしまった社畜民族日本人はそれにそれに盲従するしかなくなってしまっている。
というのが、現代の労働問題の在り方だと個人的に考えています。

▼▼▼

ちょっと戻って個人的な話しになるんですが、板前がブラックな業界だったのも昔はある意味当たり前のことだったのです。
衣食住全ての面倒を見てやろう。
仕事を、技術を教えてやろう。
腕が上がった暁には店を出す手伝いをしてやろう。
ついでに嫁の世話もしてやろう。
だから今は、馬車馬のごとく尽くして働けよ。
というわけです。

これは実際に聞いた話しで、親戚にひとり蕎麦屋を営んでいるおじさんが居るんですが、東京浅草の修業時代は親戚が集まる度に話題に上ります。
当時は朝は日が昇る前から雑用をはじめ、日付が変わるまで働き詰めの毎日だったそうです。
ならばさぞ師匠には恨みつらみも溜まっていよう……と思いきや、本人が言うにはむしろその逆で、感謝してもしきれない程だそう。

修業時代は仕事で分からないことがあれば、分かるまで親身になって相談に乗ってくれた。
仕事に限らず困ったことがあれば力になってくれた。
若気の至りで馬鹿なことをしでかした時には殴って本気で怒ってくれた。
良いことがあれば一緒に万歳三唱し、つらい日には一緒に泣いた。
地元に店を開く時には伝手を辿ってお店の場所を探して、ついでに回転資金までくれて、おまけに嫁の世話まで見てくれた。
いくら感謝してもし足りない、良き思い出だと言うのです。
古き良き、って奴ですね。

では平成の板場は、具体的には僕が務めていた板場はどうだろうか?
仮に板前としての技術を習熟させて、いざ自分の店を持とうとなった時に支援してくれただろうか?
答えは期待するべくもなく、否である。
だけど要求は当時とさして変わらない。日が昇る前から雑用を命ぜられ、毎晩お風呂に入るか、食事を取るか、睡眠を取るかの三択を迫られるまで働き詰めでした。

社畜の諸兄諸姉はもっと要求していいんです。
企業が20世紀と同じ要求をしてくるなら、当時と同じだけの見返りを求めていいはずです。
お金だけじゃないんです。
自由にできる自分の時間も、あって当たり前の権利も求めていいはずだし、求めるべきです。

じゃないと世の中がもっとおかしな事になってしまうから。

今でも日本は割とおかしなことになってますが、このままだと更におかしなことになってしまいそうだから、皆でこう言えるようになりましょう。
「こんなの絶対おかしいよ」
「じゃあ辞めます」
って。

https://www.nicovideo.jp/watch/1297851842

▼▼▼

これはちょっとした持論であり、ライフハックなんですが、問題が起きたり解決策を欲したときは『どうしたらいいだろう』ではなく『どうなったらいいだろう』と考えてみよう。
スタート地点とゴール地点がはっきりしていないと、ルートって考えようがないですよね。

スタート地点っていうのは現在地、現状です。
冷静に考えればこれは自然と分かります。考える余裕がない人はまずその地獄から一旦逃げましょう。

『どうしたらいいだろう』がルートです。
これを考えるためにはゴール地点『どうなったらいいだろう』が必要なわけです。

ゴールはここまでの本文の中で既に見えました。
「こんなの絶対おかしいよ」
「じゃあ辞めます」
って言えるようになればいい、そう言える人が増えればいいのです。

蛇足ですがほむらちゃんが頑張り続けられたのは『まどか』というゴールが見えていたからだし、そのまどかも
『どうしよう…』
ばかりの無力な少女だったけど、ゴールが見えたことでアルティメット覚醒できたわけです。
魔法少女まどか☆マギカは学ぶところも楽しみどころも満載の、名作アニメなので未視聴の人には本当にオススメですよ。

とりあえず3話までは見て欲しい。

話しが少しそれましたが、そう言えるようになれば、日本全体でそう言える人が増えれば、労働問題は自然と良い方向に向かっていくんじゃなかろうか。
ではそのゴール地点にたどり着くためのルート、その方法は?

実はそれもここまでの中で既に出ています。

▼本noteより引用
なぜ会社にクビを切られただけで、死を選ぶほど絶望しなければならないのか。
たかが企業ひとつに、なぜ我々はそこまで依存しているのか。
たかが、そう、たかがいち企業ですよ?
答えは最初のほうで書いた通りお金が無いから、じゃないんですよ。

そもそも何故に労働問題というのはおこるのか。
何故に人は働くのか。
答えはやはり同じく、金がないからである。
しかしこれだけではやや回答としては不十分だ。

お金を稼ぐ力がないからです。

企業も政府も助け船は出してくれません。
残念ながら僕にも、誰にも、あなたを助けてあげることはできません。
自分で自分を助けてあげるしかないんですよ。
周囲に出来るのは手伝いまで、誰もあなたの代わりに助かってあげることはできません。
酷な話ですが現実として、企業にとっても政府にとっても、あなたじゃなきゃダメな理由はないのです。
誰かしら代わりの効く人間はどこかに居る。

でも自分の人生に代役はいません。

個人や家族で、企業に依存せず生きていくだけの稼ぐ力を持つしかないんです。

「日本の労働環境は劣悪だ!」
「ブラック企業は断固殲滅するべきだ!」
「うちの会社はくそだ、人を人と思ってねえ!」

そう言いながら

「だけど雇ってください」
「クビにしないでください」

そう言わざるを得ない現状を打開するには、これ以外にないとわたく氏個人は考えています。

▼▼▼

私の大好きなアニメ<物語>シリーズに貝木泥舟というキャラクターが登場します。

独特の言葉繰りが印象的な、西尾維新が描く三木眞一郎ボイスのバッドガイです。
彼曰く「この世は金がすべて」だそうな。
やばい。格好いい。こんな格好いい台詞、とてもじゃないけどただの飲兵衛な僕には言えません。

この意見に対して同じく登場人物の阿良々木火憐はこう反論しています。
「金はすべてじゃない──ほとんどだ!」

これぐらいならまあ、無茶苦茶恥ずかしいけど、一応自分で商売もしてるわけで僕にも何とか言える。
この世に金で買えないものなんてあんまりないし、逆に言えばお金がなければほとんど何も手に入りはしません。
だって資本主義社会だもん。

少なくとも私の脳みそで
『金で絶対に買えないものは何だ?』
とか聞かれても、そんなにいっぱい出てこない。
しいて言えば人徳くらい?
あればっかりはもがいて、足掻いて、自分の中で育まなきゃどうしようもない気がする。あ、だから二世って妙にダメな奴が居るのか。閑話休題。

ちなみに私の答えとしては、お金はすべてでもなく、ほとんどでもなく、一番です。
詳しくは過去にそんなことについて連ツイしたことがあるので、気になる方はそちらをご一読くださいまし。

話しを戻しますが、少なくともお金というのは大事で重要なものだよ。ということは確かでしょう。

「一生を賭けて付いていきたい」
「運命を共にしてもいい」

幸運にもそう思えるような上司や企業に巡り合えたなら話は別ですが、そんな重要極まりないお金を、信用も、信頼もできない相手に握らせているのが日本人の現状です。

割と正気の沙汰じゃない。

親元から離れて、地元から離れて、自立している『つもり』になっている人も多いと思いますが、現実問題として経済的に自立できている日本人は非常に稀有だと感じています。
企業や雇用契約に依存しているわけですからね。

明日いきなりクビを言い渡されても大丈夫、平気だよ、食っていけるよ。
そういう人があまりにも少なすぎるんです。
それを被雇用者、雇用者の両方が認識してる現状だからこそ、パワーバランスが歪になっているわけです。

金額はわずかでも構わないから、一人ひとりが企業に頼らず自力でお金を稼げるようになれば状況は改善するはずです。
少しだとしても、好転するはずです。

一人ひとりが自分の食い扶持だけでも何とか賄えるようになれば

「こんなの絶対おかしいよ」
「じゃあ辞めます」

って言えるようになります。
そういう人が増えてきます。

万が一リストラされたり、会社が倒産した時の保険にもなります。
日々の生活の足しにもなります。
デメリットも多々あるけれど、それを補って余りあるメリットがあります。

時代はもの凄い勢いで変わってます。
今はもう昭和じゃないし、バブルはとっくに弾けたし、20世紀でもないし、平成も終わりが刻一刻と近づいてきています。(執筆日18/12/16)

仮想通過とか、二足歩行ロボットとか、AIが現実に存在している、今までの常識が通用しない新時代が常に今です。

さて、その新しい時代で生きるための準備を始めましょう。

はじめは少額でもいいんです。
転売でもいい。
アフィリエイトでもいい。
ブログでも、アドセンスでも、何でもいい。

絵が好きなら絵を描いて売ってもいいし、歌が得意ならYoutubeに投稿して広告料を稼ぐこともできます。
今までの常識が通じない新時代だからこそ、今までの常識では有り得なかった稼ぎ方ができる時代です。
人類史上、今ほど何でもマネタイズできる時代は他にありません。

企業や雇用契約に頼らず、まずは100円でも、10円でもいい。
自分の力で、稼ぐ努力をしてみよう。


1万文字近い長文、乱文でしたが、ここまで長い時間お付き合い頂きありがとうございました。
少しでもあなたの意識に、生活に、何か良い刺激を与えられたなら幸いです。

また、内容に満足していただけて、かつ懐に余裕があって、ついでになんとなーくそんな気になって頂けた人は、投げ銭していただけると小躍りして喜びます。

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