2011年東日本大震災による「非日常」

dマガジンで練る前に雑誌を眺めてから寝ることがある。雑誌も気に入ったものを読んでいる。その中に、SPAの鈴木涼美さんの掲載がある。そして最新が下記である。

内容としても震災時の記憶は忘れられないものであることは確かにそうである。小説等でもあるように忘れられない記憶になっている。過去の自分に関係ない出来事以外はやはり気にならないのかもしれない。そして、話は「戦前」、「戦中」、「戦後」の話となる。東日本大震災の被害者によっては、未だに「戦中」である。

「戦前」、「戦中」、「戦後」を「日常」、「非日常」、「新日常」と言い換える事が出来ると思う。あの時、「日常」が「非日常」となった。福島第一原発の事故により電源供給量の維持が出来なくなり輪番停電を行ったり、駅構内の蛍光灯などを減少したりした。

私の生活において、東日本大震災による前後って何かあるのだろうかと考えてみる。「特に無い」のではと思っている。失ったものは特に無い。変わったことも特に無い。でもあの時に「非日常」を感じたものである。

ひとつは公共交通機関が不安定な状況にもなっていた。それが、「非日常」と感じていた理由の一つであることは間違いない。震災は金曜日に起こり週末を終えて、月曜日に通常通り出社しようとし混乱していたことを思い出す。

「非日常」が溶けて「新日常」になっていく。

それが新型コロナウイルスでも起こるよね。

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