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無理せず充実した生き方(案)

無理をしないで、でも充実した生き方とは、どんな生き方だろう。そもそも可能なのだろうか? そんなことをここ最近考えてきて、ようやく分かってきた気がするので、整理するためにここに書いてみようと思います。


新入社員時代

新入社員の頃、某大手のIT企業の営業として、毎月200時間の残業をしていた。情報系の学部を出たわけでも無い私は、仕事について行くのが必死だった。何しろ、社会人生活も、一人暮らしも初めてなのにも関わらず、ITのことは基礎しかわからない。でも、取引先の担当はIT部門の人。まともにやり取りするには、量で補うしかなかった。

目標数字は思ったようには達成できず、苦しい日が続いていた。それでも、「何くそ」と睡眠も、休日も削って頑張っていたが、ある日、自宅PCのメモリを追加しようと床で作業をしていたら、激痛に襲われた。何が起きたか分からなかったけど、血の気が引いて、視界も狭まる。呼吸もしづらいように感じて、ソファに倒れ込んだ。しばらくすると落ち着いて来たけど、腰周りが動かない。というより、動かすとヤバい気がして、動かせなかった。人生初のギックリ腰だった。当時23歳。40過ぎでなるものかと思っていたけど、違ったようだ。

その日が日曜日だったので、翌日は出勤日。仕事もあるから、医者にも行かずそのまま勤務した。誤魔化しながら日々を過ごしたけど、痛みが完全に引くことはなかった。

1ヶ月後の日曜日、デートの最中にラーメンをカウンターで食べていた。ようやく出て来たたラーメンをフーフーしながら、まず一口。美味い。そして、二口目と思い前のめりになった瞬間、1ヶ月前の痛みが同じ場所に再来。麺を箸で持ち上げたまま、固まる。しばしそのまま時が流れ、動かない私に隣の彼女がきづいた。

「やばいギックリ腰やっちゃった」

ラーメン食べててギックリ腰なんて恥ずかしくて言えないので、バレないようにラーメンは食べ切り、彼女に脇を抱えられながら店を出た。店の外は踏み固められた残雪があって、腰に爆弾を抱えた私には車までの道のりがめちゃくちゃ長く感じたのでした。それと同時に何か限界を感じ、その日から転職に向けて動き出したのでした。

思えば、目標を達成することだけに集中していて、自分の体の悲鳴に目を向けていなかった。ギックリ腰になる前から異変はあった。まず、朝洗面所で顔を洗うのがしんどくなった。背中や肩の凝りが強くて、前屈みになることが窮屈だったから。「まぁ、そのうちに治るでしょ」と思っていたけど、ついには背中が曲げられなくなったので、まっすぐな背中でも蛇口付近に顔を持っていけるように、通常より洗面台から後ろに下がって立ち、腰を45度に曲げて顔を洗うようになった。腰をそんなに丁寧に曲げるのは、新入社員研修でのマナー講座か、その時くらいだった。その内、それすら難しくなってきて、朝はシャワーを浴びるようになっていった。分かりやすく異変はあったのに、仕事の目標ばかりに気持ちが向かってしまい、結果として見逃してしまっていた。

転職後

転職した先の人材紹介会社が2年ほどしてリーマンショックで営業縮小することになり、親会社グループの生命保険会社に転籍することになった。そこでも最初は営業をしていた。代理店営業と言われるスタイルで、保健募集をしてくれる代理店に販売していただくための支援を行う。業界特有の規制もあり、自由な提案活動ができる訳ではなく、基本的には御用聞になりがちな仕事。ITの営業では、お客様のニーズに合わせて自分で他社商品すら登録して提案をしていたので、全くの真逆の営業をしている感覚で、退屈に感じていた。それに、当時は商品力もあったので、代理店はある程度勝手に販売してくれたし、手数料の上乗せキャンペーンなどもやれた時代なので、自分で創意工夫しなくても数字が作ることができた。要は自分でなくてもできる仕事だと感じていた。

それでも、業務量はそれなりにあったので苦労がなかった訳ではなく、モチベーションの維持も含めて頑張って目標を達成していた。しかし、その目標達成も年度が変わると先期の120%の目標が課されてしまい、どこか虚しかった。それなりに頑張ってやっても、楽になる訳でもなく、アッパーは毎年吊り上げられる。自分の成長もたいして感じることも無く、あくせく働いて、毎年同じことの繰り返し。終わりないループがそこにあるように感じた。それでも、生活のためにはお金が必要だし、そのためには目標達成を目指さないといけない。そんな日が続いていた。

希望して通信販売の部門に異動して、多少クリエイティブな仕事が出来るようになり楽しさを感じるようになった。それでも、目標との向き合い方は基本的には一緒だった。何よりも目標達成が優先されるため、自分よりも仕事、目の前の同僚よりも成果、本質的な成果よりも目標達成に必要な成果、だった。

再度の希望異動で人事に行き、人材開発をするようになって、ようやく解放されるかと思った。成果が見えづらい業務が多いからだ。しかし、こちらも相手が社員という人間であり、丁寧な対応が求められる部署であるにも関わらず(故に?)業務量が多く、効率的な対応を求められざるを得ない(これは多くの人事が抱えるジレンマ)ため、本質的に意味のある成果と向き合うことが難しかった。結局のところ、異動先でも同じような感覚で仕事に向き合っていた。

そして、今

この文章を書き始めた時、私は自宅近くの公園にいた。この公園は、木々が生い茂る二つの小高い丘全体が公園となっている。都内では比較的豊かな森の様相で、「ムサシノキスゲ」という希少種が東京で唯一見られる場所となっている。二つの丘の一方の頂上は稜線が遊歩道になっていて、道の中ほどにあるベンチに座ってスマホで文字を打った。幹と枝だけになった木々の合間からは日差しが十分に降り注いで、気温は10度前後だけど背中は暖かく感じた。直前までランニングをしていたのだけれど、ふと書きたくなって筆をとった次第。最近1週間くらい、私が何かを発信することを後押しするかのようなサインを受け取っていたが、これといった衝動もなかったので、書かずに過ごしていた。サインと言っても大したものではない。過去に書いた記事に「いいね」が立て続けについたり、私が話した内容について周囲の人から発信するように勧められたりといったもの。

それが、ランニングをしている中で、ふとそれらことが思い返されると同時に、「今が書くタイミングだな」と思ったのでした。書くことに意識を向けてみると不思議と書く内容が湧いてきて、筆不精な私でもそこそこのペースで書き始めることができた。こんな感じで書き始めることは今までになく、初チャレンジ感が強いのだけれど、結構いい感触を得ている。

何がこれまでと違うのか。
それは、頭を働かせて考えて動くのではなく、感じたことを確認して動くようにしている点が大きく違う。

頭を働かせているとある種の衝動が湧いたとしても、今これをやるとこの後の予定に響いて、やるべきことが出来なくなるからやめておこう、などと考えがちな私。今回のケースでいえば、「何か書こうかな」とふと思ったとしても、「いや、家に帰ってからじっくり考えた方がいいだろう」とか、「ランニングの汗で体が冷えてしまう」とか理性的に考えてしまって、思ったことを傍に置いてその場では書かなかっただろう。私の場合、考えが入るとネガティブな前提を置きがちで、恐れや不安から判断することが多いようだ。

それが、感じたことを確認して動くパターンでは逆で、願いや期待から判断していることが多いように思う。今回は、「何か流れのようなものも感じるし、誰かの役に立つかもしれないからとりあえず書いてみよう。寒かったりしたら、途中でやめたらいいや」という思だった。そこには、何かの流れに対する期待や誰かの役に立って欲しいという願いがあって、「ダメならそれも流れだね」という軽快さも加わって、私の身体全体が開く方向に向かっていく感覚があった。

開く方向に向かった身体の中では、エネルギーが循環しているような感覚があり、そのエネルギーは文章を書くということに向けてスムーズに注ぎ込まれていた。そのため、筆不精な私でも書き続けることが出来ている気がする。不思議なんですが、感じたことを確認して動くパターンは、私にとっていいようなのです。

明確な目標を持たない

感じたことを確認して動く感覚は、新卒時代や転職後の私にはほとんどなかったと思う。目標達成しないと給料をもらえないかもしれない、という不安から動いていて、目標達成に向けて何をするのか、どれだけやるのかをひたすら考えていたので、当然です。だから、恐らく当時の私に「感じたことを確認して動きなさい」とアドバイスしても、その感覚が分からなかったと思いますし、そもそも感じることが出来なかったのではないかと思います。

会社の研修で入社数年の若手と関わることも多くありますが、彼らに仕事の中で感じていることを聞いても即答できる人はほとんどいない。少しサポートしてあげれば出てくるが、自力で出てこない様子を見ると普段あまり意識していないのではない可能性が高い。当時の私も同じようなレベル感だったと思います。

そんな私の感度が高まったのは、色々なきっかけがある。大きくは三つ。
一つは、コーチングのトレーニングを受け始めたこと。コーチングのトレーニング中は、練習として練習生同士で相互にコーチングを行う。そうした中で感情や感覚を問われることが多くなり、トレーニング期間終了後にプロのコーチを自分につけたりすることで一層感じることに対して意識を向けるようになっていった。自分自身がコーチとして活動して、感情・感覚をとうことが増えたことも影響があったと思う。

もう一つは、坐禅の習慣を持つようになったこと。坐禅は30歳を過ぎたあたりから触れるようになって、数年間広尾にあるお寺の座禅会に参加し続けていた。坐禅会を退会してからも、出勤前に15〜30分間坐る習慣を何年も持っていた(最近また再開した)。そのお陰で自分が今何を感じているのか、自分の意識が何に向いているのかが認識できるようになっていて、自分の中に湧いたものが感じたことなのか、考えたことなのか、意識を向ければ認識できるようになっていた。

そして、3つ目。これが一番大きなことだと個人的には感じている。
いかに感覚・感情に上手に意識を向けられるようになったとしても、これまで私が教えられ、体験してきた世界では、目標達成がすべてであったため「感じる」いとまがない。何かがあると、その事象と規則や業務上の常識を照らし合わせて、目標達成に向けてより適切な、誰もが納得する答えを探す。思考、思考、思考。思考の連続。「私はこう感じるんです」と訴えたところで、「根拠は?」「なぜ?」「前例は?」と問い返されるので、思考の世界に戻される。そんな中で「感じる」ことに意識を向けるのは難しく、やれたとしても一瞬だった。

だから大事なことは、この思考の世界から抜け出して、感じる世界になるべく多くいるようにすること。そのための方法を私は見つけることが出来た。あくまで、今の私には合っている方法という前提ではあるけれど。

その方法とは、具体、かつ、定量的な目標は持たないで、抽象、かつ、定性的な目標を持つようにするということ。具体、かつ、定量的な目標とは、「いつまでに、何を、どれくらいやるのか」という目標のこと。抽象、かつ、定性的な目標はその逆である。

先日、箱根駅伝で大会新記録を出した青山学院の記事を読んだ。そこに選手たちの目標の持ち方について触れられているパートがあった。なんでも、彼らは練習の時は目標タイムを設定してそれに届くようにハードなトレーニングをしているが、本番では目標タイムを設定しないそうだ。原監督の指導でもあるようだけれど、他大学が目標タイムを監督から与えられて臨むのに比べて異色なことらしい。本番での目標は、例えば「出来れば駒澤さんより前でたすきを渡したいというのと、遅れたとしても20秒差以内にとどめたいというイメージ」とか、「15kmまでは抑えて、権太坂からギアを変えるつもりで」とか、「レースプランは後半耐える。悔いが残らないように走る」というようなものばかり(引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/444c4736e5311bc4f28e56acf15b51c668e89d35)。この青学の例で言うと、練習中に設定している目標タイムが「具体、かつ、定量的な目標」で、本番で設定している目標が「抽象、かつ、定性的な目標」にあたる。

この「抽象、かつ、定性的な目標」が感じる世界にいるためにどう良いかというと、目標に向かっている最中に自分自身や周囲と対話する余白が生まれ、余白に生じているものを感じ取りやすくなるということにある。

「具体、かつ、定量的な目標」を持つと、今の進捗状況と定めた目標とのギャップを確認し、そのギャップに応じた施策を考える動きが私の中に生まれる。ここには、自分の体調がどうであるか、家族・同僚がどうであるか、お客様・世間がどうであるか、ということよりも、目標達成のためにどうすべきかということにどうしても意識が向いてしまう。目標達成のため以外にまったく意識が向かないわけではないが、少なくともそれ以外のことに対する意識は少なからず薄れている。それは、目標との対話に重心が置かれている状態であり、対話の対象が限定されている。これが「具体、かつ、定量的な目標」を持つことの怖い点だと思う。

対話の対象が限定されてしまうと、私のように体調の変化に鈍感になり若くしてぎっくり腰になったり、あるべき思考に絡め取られて徒労感に苛まれ続けることになったりしてしまう。自分自身の在り方や、やることを適切に調整するきっかけを失ってしまうということの結果なのだと思う。

反面、「抽象、かつ、定性的な目標」を目指していると、対話の対象が限定されにくいので、自分にも周りにも無理を強いずに、かつ、その時々のベストパフォーマンスを生むことができる。私は、「抽象、かつ、定性的な目標」のお陰で落ち着いて目の前のことに向き合えている。最近までは達成期日と行動を決めていたが、その目標と向き合っていると行動自体が目的になってしまうことが毎回起きていた。行動は目標達成のための手段であり、目標そのものにはなり得ないのに。

今回のこの文章も、「書くべき」という思考は以前からあった。週末までにとか、月内に書くと決めることはできた。でも、「書きたい」とか、「書いた方がいい」という感覚が自分の内側から湧き出てこなかったので、思考内容は実行せずに保留していた。それがこのタイミングで湧いてきたので書いてみた。ということで、今この瞬間のベストパフォーマンスであるはずだが、どうだろうか? 検証のために、良いと感じたら「スキ」か、フォローをお願いします。ぜひ 笑

ちなみに、どうしても思考の世界に引き戻される外圧は受けてしまう。外圧が強すぎる。だから、今、私は、プロのコーチにお願いして、感じる世界に居続けられるように定期的に自分を見つめるためのコーチングを受けている。お陰でブレ幅が小さくやれている気がしている。

まとめ

「まとめ」と書き出してみたものの、何を書いたら良いだろうか?
まとまっていない笑

そうそう、「抽象、かつ、定性的な目標」を意識するようにして、周りにも無理を強いなくなったせいもあって、妻との関係も去年より良好になった気がする。
妻は子育てフェーズが変わったので、仕事を始めた。そのため、仕事に時間を取られるようになり、当然家事が回らなくなった。朝の洗濯から部屋の掃除、夕飯づくり、子供の勉強の丸つけなどに時間を取られ、疲れを溜めるようになっていた。昔の私なら、目標達成がすべてであったので、妻のその状況に気づかないか、気づいても自分のペースを落とさないように妻か自分の身をすり減らす選択をしていただろう。

でも、今は違う。妻の状況を捉えた上で話をして、家事の分担を変えて、私の負担と妻の負担が同じくらいになるように調整をした。私のそうした姿勢を妻側も感じ取ってくれて、お互いに気持ちの面での譲り合いも増えた。私が間違った洗濯の仕方をしても、聞いた話を覚えてなくても、怒られることが減った。(ゼロにはならないようだが……)
そして、その上で私の目標に向けた行動も当然にやるのだが、その目標自体が私自身が目指したいと思っている、何なら目指すべきと感じるものであるから、手を緩めるわけではない。寧ろ両立を目指して、自分と周りとの対話を密にして無駄なことをしない。感じたものを大事にして、それに応じて即動くようにしている。禅の言葉で「感即動」という言葉があるが、まさにそれに近い状態を目指している。つい、スマホの動画に興味をそそられるが、「やめるべき」と感じたら即画面をブラックアウト。そういったことも奏功して、今のところ自分の目標をしっかりと追いつつ、一定の進捗もありながら、周りとの調和も失わずにいられている。

ただし、目標の達成がいつになるか、それが問題である。一般的には。なにせ、達成時期を決めていないのだから。
でも、私の場合、確かな流れがそこにあり、それを感じているから多分大丈夫。なぜか悪いようにはならない気がするのです。周りには、愛に溢れる人や一生懸命生きている人たちがいて、そういった人たちと調和していくことが出来れば、行き着くべきところに行き着くように感じます。他力本願ということではなく、調和するための行動やある種の鍛錬を前提として、その流れに乗り続ける努力を惜しまなければ。

甘いという人もいるのでしょうか。いるのでしょうね。特に、考える世界には。でも、その世界の人が私からは幸せそうには見えない。だから、それはそれ。私は、私。このやり方で大会新記録を出す姿を皆さんにお見せして、より多くの人を感じる世界に引き込めたら本望です。

と、書きながら、ドキドキしている自分を2割ほど感じますが、日々対話していきたいと思います。

では、また、何か感じるもの、湧くものがあったら、書きますね。
何となく、すぐまた書くように感じますが。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
良い日々をお過ごしください。
ゆう


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