流れを感じて、目的地を定めず、独立を決断しました
会社員歴、満20年を来年の3月で迎えるタイミングで独立することを決めました。
決める時は不安や期待で感情が乱高下するのかと思っていたけど、意外とそんなこともなく、スッと決まるべくして決まった感じがしました。
独立に向けて一区切りがついたタイミングなので、今この時点で思うこと、大事にしてきたことを記しておきたいと思います。
まだ何も成していないですが、独立を目指している人の参考になる、、、かもしれません。いや、ならんかなww
まず今の心境は
「期待:不安=7:3」という感じでしょうか。
乱高下こそなかったですが、感情の入り混じりはあります。
独立するんだと決まった夜は、寝つきが悪くなりました。なぜなら、あれやりたい、これやりたいと、遠足前の小学生になってしまったから。
連休の週末で決めた翌週に会社の同僚・上司に決意を伝えました。不安が先立つかと思ったけど、意外と何も感じずでした。何年も前から辞める辞める詐欺をしていたので、相手からの驚きは小さく、引き止めもなかったからかもしれません。
それに、心配性の妻も「楽しみだね」と言ってくれるので、楽しみなことが再確認できることも助かっています。
そうは言っても、3割は不安があり、たまに不安に引き込まれそうになることもあります。やはり先が見えないというのは、不安に感じるものなのですね。
でも、この先が見えない不安が、寧ろ本来普通のことなのではないかと頭では思っています。本来は、動物として原野に生まれ育ち、明日の食事の見通しも曖昧で、どんな危険に晒されても不思議ではない環境で生きていたのが人間だと思います。
なので、本来の状態に戻ることになる、ということなので、慣れていきたいと思います。今は、頭での理解でしかありませんが、不安を感じるからこそ、成果を得られた時の喜びもひとしおだろうと想像しています。
目標は持たず、願いを意識する 〜 大事にしたこと その1
これまで、独立をしようと思ってその準備をしたものの、その準備が上手くいかずに独立を何度も見送ってきました。
○月までに独立しよう
この仕事がものになったら独立しよう
クライアントが何人になったら独立しよう
そんな感じで、独立するために目先の目標を決めていたのですが、どうも私の場合、目標を決めてしまうと突っ走り過ぎてしまうので、自己管理も、周囲を取り巻く色々なものとの関わりも雑になってしまいます。
亥年だからでしょうか。猪突猛進的な?
なので、今回は、「目標は持たず、願いを意識する」ことにしました。
独立するのに目標を持たないなんて、普通あり得ないと思う人が多いのではないかと思います。でも、自分の過去の経験則からは目標を持つことで良かったことはなく、できていないことに焦ったり、不安になったりして自分が歪むだけでした。
今季(2024年シーズン)、大活躍している大谷翔平さんも、一試合一試合勝つことだけを願っていて、ホームランや盗塁の目標は持っていない気がします。それらは、あくまで勝つための手段という印象です。
だから、私も大活躍(?)するために、目標を持つことをやめて、願いを持つようにしようと思いました。
……というのは、半分嘘で、そういう風にやっていたら大谷さんの活躍からもそんな印象を受け取ったので、途中からは「やっぱりこれだな」と確信に変わり、意識的にそうしていました。スターは勇気をくれますね。大谷さん、様様です。
そして、こうしたい、こうなって欲しい、という願いを持つと、願いの先に願いが叶った時のイメージが頭の中に浮かびます。気持ちがポジティブになり、視界が開ける感覚が湧き、意欲が高まります。
私の願いは、「働くことを楽しむ大人で溢れる世の中にすること」なので、私が自分の願いと繋がると、笑顔で汗を流す大人の表情や雰囲気が視線の先に広がります。それが広がると、気持ちも、身体も軽くなり、前に進む意欲が湧いてきます。
ただ、目標と違い、私の願いには「いつまでに」という期限がありません。これは、メリデメ両面あって、上手くデメリットを解消しないといけません。
メリットは、期限がないので焦らず、じっくりやれることです。すぐに猪になってしまう私には焦らないでいられることは大事なことです。
一方、デメリットは、ダラダラとしてしまうこと。夏休みの宿題や受験勉強のように、お尻があれば追い込んで頑張ることができますが、それがない。夏休みの宿題を出さずに済ましたことすらある私にとって、期限がないことは危険なことでもありました。
このデメリットへの対処法は色々と試しましたが、最終的には、意志を強く持つことでした。ダラダラしているなと感じた時にこそ意志を持って自分を律して願いに繋がり、意欲を高めることで対処しました。
あと、そもそもダラダラを予防することも大事なので、神社に行って願いと繋がることを意識的に行うようにもしていました。
そうした自分との関わり方を見出していき、動き続けることを可能にしたことで、朧げながら道が見えてきました。
願いのパワーは絶大です。
ネガティブなこともサインとして受け取る 〜 大事にしたこと その2
とはいえ、願いに繋がればすべて上手くいくわけではありません。
願いに繋がってプレゼンしても、ダメなものはだめ。
願いに繋がって送信ボタンを押したからといって、選考を通過するわけでもない。
願いに繋がることの良さを感じた初めの頃は、繋がりさえすれば万事上手くいく、なんて思っていました。それくらい、願いに繋がった時の体感覚が良かったんですけど、甘々でしたねww
でも、ネガティブなレスポンスは沢山ありましたけど、今回はそれらの自分にとっての意味を考えて、サインとして受け取ることにしました。
そう考えた場合、ネガティブなレスポンスは、私の能力や実績の低評価という意味ではなく、世間様からの「お前の道はこっちじゃないよ」という言葉のように感じられました。
そして、「こっちじゃないよ」と言われた私は、「じゃあ、どっち? 何?」となります。自分にある他のリソースを探しに行って、いけそうなリソースの活かし方を考える。で、すぐにやってみる。
そんなことをしていると、段々とやれることは絞り込まれてきて、私の場合は3つほどになりました。
コーチング
成長会議®︎
研修講師(まずは下積み的にやるレベル)
絞られると「コレしかない」という悲壮感に繋がるかとも思いましたが、意外と覚悟が決まるような感覚の方が強く、迷いが消えていきました。
気づくと、もう独立しよう、と自然と思うようになっていました。無理も、勢いもなく、静かに「やるか」という気持ちに変わっていました。
妻にも独立の意図を説明する 〜 大事にしたこと その3
独立する話は、10年くらい前から妻にしてきていました。当時は、「独立したい」ということが先立って、独立することが目的のように語っていたと思います。自分としてもまだ思いがそこまで強くない時期でもあったので、妻も話半分で聞いていました。
そんな中でも、妻からは「今の生活が維持できるならいいよ」と毎回言われていたような気がします。「今の生活水準を落とすならダメだよ」ということなので、相応に高い基準だなと感じていました。
いずれにしても独立は勝手にできる状況ではなく、妻の決裁が必要な状況でした。
その前提で準備をしてきました。今回は金銭面のことも大事にしましたが、そもそも「なぜ独立するのか」ということをきちんと伝えるようにしました。
1年半前にも「こんな方向で考えているから応援してね」、口頭で伝えていましたが、今回はより具体的に提案資料に落とし込んで説明しました。
私の場合、独立の目的は、先ほどの願いを叶えるためですが、その願いを叶える目的は、私自身がやりがいを感じて幸せになることです。利己的に感じるかもしれませんが、私が幸せでない限り、私が人を幸せにすることは出来ないと考えています。
シャンパンタワーの一番上が私で、私が満たされて初めて次の段に幸せが広がっていくイメージを持っています。
だから私は、遠慮なく自分をやりがいで満たしていくつもりだと、妻に説明しました。独立の先には家族がいて、家族が幸せになって本当の意味で自分は幸せになれるという言葉と共に。
なので、提案書のタイトルは「独立プラン 〜家族の幸せのために」と副題付きにしていました。
そんな内容で話したら、「うーん、まぁ、いいんじゃない?」と、アッサリOK。佐野ラーメンくらいのアッサリ感。
日常的な信頼の積み上げもあったとは思うけど、もう少し不安を表明されるかと思っていたので、拍子抜けした感じがありました。
一方で、よく分かりませんが、妻を頼もしく感じました。こちらが安心をもらう感覚もあり、改めてありがたく思いました。人生のパートナー感が増しました。
妻が言っていましたが、金銭面ももちろん大事なことだけど、そもそも家族を置き去りにした独立ではないことが分かったので、OKしたとのこと。最悪、独立が失敗に終わっても、諦めて家族のために何とかするつもりであることが伝わったみたいでした。
その後も、「来年が楽しみだね」と言ってくれることもあり、私の楽しみもマシマシです。
これからも、流れを手放さずに
思えば、今回の決断に至るまでの流れは、3年くらい前から少しずつ始まっていた気がします。
いろいろなきっかけに背中を押される形で始めたコーチングの資格取得に始まり、突如の入院で安心感を感じ、対話の場で揉んで揉まれてグルグルして、起業するための事業を具体化した途端にビジネスパートナーと袂を分つことになり、すべてを再構築する方向に。
でも、再構築の過程で自分の力の使い方、表現の仕方が少しずつ見えてきて、沢山の人たちの話を聞きながら自分を整えてこれた気がする。
粘土をこねて、ろくろに置いて、回転させながらニュニュッと器の形を起こしていく時、粘土やろくろの回転、自分の手先の感覚と対話するように。まだ、ろくろは回さないといけない状態ではあるけれど、形は見えてきた。
いろいろなことをやってきたけど、常に自分の背中を押してくれていたのは、漠然としているけど確かに感じる「大きな流れ」。
この流れの存在は自分にとって大きく、動き続けられる理由になっていた。「大丈夫」という言葉の裏には確信があり、誰かに何か言われても受け取ってサインに変えられる。その後ろには、常にこの流れがあった。
「お前は、スーパー普通」と言われたこともあるけど、「そうか、普通なのか」と一旦受け取りそこから考える。自分を「普通の人」と置き直したら、スッと通るものがあった。
確かな流れを感じるからこそ、そういう応じ方が出来て、発見があった。
実は、今回の独立は金銭的な計画は、結構見込みの範囲が大きく、数字だけ見れば見切り発車。でも、流れがどんどん強くなっているので、独立する判断しかなかった。ここまでお膳立てをされて流れに乗らなかったら、「据え膳食わぬは男の恥」状態。というか、後悔するのが目に見えている。
流れというものは、確かにある。と、私は思う。だって、確かに感じるから。
世の中のいろいろな流れがあり、その支流として個々人の流れがある。
この流れを感じられるか。
感じて、掴むこと、乗ることが出来るか。
私は今のところ掴めている気がするので、これからはしっかりと乗って漕ぎ出したい。到着地点を目掛けず、焦らず、オールで水を掴んでいる感覚を確かめながら、グッ、グッと、一漕ぎ一漕ぎ丁寧にやっていきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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