ココ デハナイ ドコカep.3
別れ際の涙、そしてハグ。
空港や駅でのひとコマではない。
雨に濡れた木立のなかにひっそりと佇む歴史資料館の前で、東南アジアからの留学生たちと、民宿先として彼らを受け入れたホストファミリーが別れを惜しんでいた。
人と人との交流に、年齢も性別も国籍も関係ないと思えた光景だった。
とある国際大学の留学生6人を、私が関わっていた地方の民宿先に紹介して、彼らの滞在中のアテンドを行う機会があった。
私自身、地元を紹介するのとは違い、数回訪問した程度の土地勘しかなかったので、事前に滞在中のアクティビティ、見学先、食事先等を調べに調べて、なんとか形にしたツアーだった。
地方の宝を探す旅。
いわば、地方知宝ツアー。
そんな名目で、自身も旅行者の目線で、いろいろな場所を訪れ、案内し、地元の方の話を聞き、留学生たちの率直な感想を聴いた。
そこで、気づいたことがある。
旅先に求めるものは、
新しさだけでない。
懐かしさを、求めることもある。
私は学生に紹介しておきながら、農家民宿なるものに宿泊したことはこれまで一度もない。彼らと過ごすうちに、どこに感情を揺さぶられ、「また帰ってきたい」と思わせる魅力があるのか、朧げながらわかったことがある。
知らないおうちの子どもになってみる。
お世話になった農家民宿先では、昼は船を出して海釣りに行き、夜は一緒に夕食(郷土料理)を作り、夜中までアルバムやビデオを見ながら互いに思い出を語り、朝は畑に出て、食卓に並べる野菜を収穫し、近くの観光名所まで一緒に散歩に出かける等して過ごした。
傍で見ていて、言葉の壁がありながら、大いに笑い、驚き、楽しんでいる彼らは、まるで小学生の子どものようだった。
子どもの頃、近所の友達の家で遊んでいて、遅くなって、夕飯を食べさせてもらってから帰るような、そんな経験と重ね合わせた。
または、お泊まり会と称して、友人宅に何人かで泊まらせてもらったときのような、ときめく感覚。
どこか、その時の「自分ち以外の子どもになることへのワクワク」と似ている気がした。
彼らは言った。
母国の実家にいるみたいだ。
親戚の家に遊びに来たかのよう。
祖父母の暮らしとよく似ている。
日本にもこんな原風景が残っていたのか。
こんなに親切にされたのは、来日してから初めてだ。
どうだろう。この懐かしさ、温かさは、留学生のみが感じることではないだろう。
祖父母が他界し、実親も健在とは限らない40〜50代の働き盛りの中高年こそ、農家民宿に泊まって、悩みの一つ二つこぼしながら、地のもの、地の酒で癒されつつ、久しぶりの体験にワクワクして過ごすには、ピッタリではないだろうか。
熟年と呼ばれる年代になったら、ラグジュアリーな旅を、と思っていたけれど、郷愁をそそる民宿体験こそ、真の贅沢を得られる旅になるのではないかと思った知宝旅だった。
今、留学生からのレポートを読みながら、彼らが「日本のおとうさん、おかあさん」と民宿先のファミリーを親しみを込めて綴っているのを見て、じんわりとあたたかな気持ちに包まれている。
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