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イツカ キミハ イッタep.46

子どもの頃の夏の風物詩といえば、花火、風鈴、蚊取り線香だった。大人になって血が美味しくなくなったのか、蚊に刺されることはなくなり、集合住宅や戸建てでも騒音を気にして風鈴を下げる家は少なくなった。
ただ、花火大会だけは別だ。毎年、どこかで1度は大輪の花火を眺めるのを楽しみにしていた。河川敷の土手で。海岸の砂浜の上で。ビルの屋上で人の頭を掻き分けながら、闇夜に突如揚がる無数の火の結晶を歓声とともに見送った。少し前まで暑い暑いと扇いでいたことも、飲みかけのドリンクがぬるくなったことも忘れて、さまざまな色形で夜空を彩る花火の美しさに見惚れる時間。それは克明に夏が来たことを自身に印象付ける儀式のひとつだった。
しかしこの数年、各地で開催中止の決定が続き、燦々と照らされて蓄えられた地表の熱を感じることなく、よく冷えたエアコンのかかる室内で熱帯夜を過ごす機会が増えた。

そんな中、2022年は花火大会を開催する地が増えた。3年ぶりの開催というふれ込みもよく聞く。花火という響きを聞いただけで、やっと夏らしい夏を迎えられた喜びを感じる。

山形県遊佐町の夕日まつりも、その一つだ。
山形庄内地方の遊佐町は、人口1万2千人ほどの小さな町で、米や野菜(特にパプリカ)など鳥海山麓の恵みをいかした一次産業が盛んだ。
町の観光支援策の一つでもある「宿泊者限定の特典」プランとして、これら特産品を町内旅館に宿泊した客に後日郵送するサービスを期間限定で行っている。

ちょうどそんな期間内に花火大会が開催されるというので、花火を観るために町内の温泉宿泊施設へ泊まることにした。

花火のために、その地に留まる。

花火大会は夜に開催されることから、遠方から来る客は帰れない。なので、花火を観るというのは宿泊に値するイベントなんだと改めて思う。宿泊目的が、日中巡る観光のためではなく、ビジネス出張やはたまた終電を逃して、というネガティブな理由ではなく、ほんの1時間程度の花火を観るためだけに泊まるというのは、とても贅沢な理由だとも思う。

7月30日、日中に十六羅漢を巡り宿で早めの夕食をいただいてから花火大会会場である西浜海水浴場に向かった。19時というのに、夕陽は海面よりまだだいぶ高い位置で空を朱く染め上げていた。鳥海太鼓演奏が始まり、勇ましい掛け声とともに太鼓の乾いた響きがその場の空気を振動させる。3年ぶりの開催を楽しみに集まった人たちの鼓動も次第に早くなる。会場アナウンスからカウントダウンのコールがかかると、期待は最高潮を迎え、まだ仄白さが残る空を目を凝らすようにして一心に見つめた。

大会の幕開けを知らせるかのような花火が空にあがると、すぐに「ドーン」と大きな音が辺りに響いた。砂浜の一角で打ち上げられるそれは、観客席から安全性を考えて距離を取った場所から打ち上げられているとはいえ、都内で見る花火よりかなり間近であがっているように見えた。光と音が共鳴し合い、音楽に乗って次々と打ち上げられる。

私は体育座りをしてコンクリートの熱をお尻に感じながら、目の前で繰り広げられる花火ショーを食い入るように見つめた。美しい円を描く大輪の花火と、歓声と拍手。お腹までズーンと重たく響く音の大きさに時折体を浮かせながら、遠い昔にこれと同じ感覚を味わった記憶を、懸命に手繰り寄せようとした。

笛吹川河畔の神明の花火大会。主催は市川三郷町。遊佐町より少し多い人口1万5千人の町。1時間半で2万発という規模の大きさから、例年20万人ほどが訪れるビックイベントだ。この時も、花火を観るためだけに宿を取ったのだった。知らない町の川縁で打ち上げを待っていたときの地表に付けたお尻の温かさ。光とともに湧き上がる歓声。菊や牡丹に水中花火。中でも次々と頭上に降ってくるようなしだれ柳が一番好きだった。長く尾を引いた花火が、消える前にキラキラと最後の輝きを見せるとき、なぜだかグッと泣きそうになったのを憶えている。

最後はナイアガラ、スターマインに圧倒されて夜の祭典は幕を閉じる。会場アナウンスが帰りの交通案内をしだしたところで、我に返った。観光協会のテントに立ち寄り挨拶をしてから、徒歩で交通誘導員の指示に従って、港まで歩いた。サンダルの中は砂だらけだ。
「宿に戻ったら、すぐ温泉に入ろう」
「会場で飲めなかったから、部屋で飲もうか」
「明日の出発時間、何時でしたっけ」
同行者とそんなたわいもない話をしながら、松林を抜けた。

花火のあがっていた時間。
それは非現実だった。
終わった途端、現実に戻った。
いや、現実はそのままで、束の間の夢を見ただけだったのか。

宿泊者限定の遊佐町の選べる特産品一覧から「季節の野菜(詰め合わせ)」を選んだ。1ヶ月後、家に届くという。その野菜を調理しながら、きっとこの夏の一日を思い出すのだろう。

また来年も花火を観に来たい。
もっと、もっと観たい。
ポカンと口を開けて遠くの空を眺めていた、まだ何も、どうなるかも知らない、あの頃の自分に会いに。

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