親である私も不登校児だった

子どもだけの事を、書こうと思っていたけれど、かくいう私も不登校児だった。小学校、中学校、高校と。その事を書こうと思う。

全く行けなかった訳ではないので、つまづく事なく進級はしてきたけれど。単位も出席日数もギリギリで。

不登校が解決するのは、運が良かったとかでは絶対にない。

本人がいかに戦ったかの結果だ。必死にもがいて、あがいた結果だ。

私が小学校の時、不登校になったのはいじめがきっかけだった。

私は勉強が苦手で、運動も苦手で、忘れものもしょっちゅうで、絵を描いたり、校庭に入ってくる犬や景色を眺めている事が好きな静かな子だった。
ある日急に仲間はずれにされた。
社会の歴史の人物新聞を作りましょう。そんな課題だった気がする。調べるのも苦手だった私は、唯一得意だった絵で人物像を全面に押し出した新聞を書いた。廊下に貼り出された新聞を見て、「これ、絵でごまかしてない?」とみんながコソコソ言っていた。それがきっかけだったかもしれない。
保健室登校をしながら、なんとか小学校を卒業した。

中学校は、入学早々、小学校から仲が良い同士でグループが既に出来上がっていたクラスになってしまった。
輪に入れなくて、気にしないと思うようにして、休み時間は図書室から借りた本をひたすら読む。それが目立っていたようで、クラスの不良のような女子に人気の男子が私に注目しているような発言をした。その時から恐らく嫉妬からくる女子たちからのいじめが始まる。私の普段のポッケに手をいれる仕草を真似して、クスクス笑う。笑うので、やめてと言えば、あなたのことじゃないと言う。被害妄想だと言う。それ以外にも、戦うにも戦えない、悪質な女性ならではのいじめ。先生に相談して、クラスを離して欲しいと頼んでも、3年間そのいじめグループ女子たちと同じクラスにさせられた。クスクスを流す。心ない言葉を流す。よく自殺しなかったと思う。

中学校の時に学んだのは、学校は味方してくれないということ。

高校、中学校からの影響か、自立神経が乱れて、腹痛や体調を崩しやすかった。休みがちになってしまった。先生が強制的に組ませた、授業のペア相手が私が頻繁に休むから困っていたようで、私に直接言えば良いのに、クラスの気が強いリーダー的な子に相談したようで、その子から強く言われる。そこから始まるいじめ。クラスのみんなが私を見るとコソコソ、クスクス笑う。それでも、行ける時は、学校に行った。逃げたかったけれど、自分が変わらないとと思って。

私の場合はいじめが基本的にきっかけで、不登校になるきっかけは、いじめじゃない人もいる。
うちの子がそうだったように。
でも、うちの子も、頑張って友人を作ったのだ。きっと幼いなりに、友人を作らないとと思ったのだ。
どんなに大変だったことだろう。

本当に、学校は何もしてくれない。
担任の先生もなんとかしたくても、出来ない事があるのだろう。中学校の担任の先生もずっと悩んでくれてはいた。解決しなかったけれど。
学校は頼れない。昔も今も。
親は子どもの代わりにはなれない。
もどかしいけれど。
自分でもがくしかない。自分が戦うしかない。

学校という、他人が一緒に同じ空間にいない箱が、全世界からなくなれば、一番簡単な話だけれど。。。

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