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なにもないところには、なにも生れない。

福山に帰ってきたときに、よく耳にする言葉がある
「この街にはなにもない」
なんだったら、今でも若者世代を中心によく聞く。この文脈で言うと、「福山には何もないというとはけしからん!!」と僕が説教をするような文章になってしまいそうだが、お恥ずかしい話、僕もそう思っていた人間の1人だ。

僕は、5年前に東京のベンチャー企業でのインターンを終えて、福山に帰ってきた。福山に1週間以上滞在するというのは高校を卒業して以来のことだ。改めて、地元である沼隈町や福山市を見て回ったが、どうしても東京の圧倒的な情報量と比較してしまう。デジタルサイネージには最新のアーティストの楽曲が流れ、駅には最新のテクノロジーサービスの広告が常に掲載されている世界から戻ると、どうしても物足りなさがあった。
しかし、物足りなさがあるからといって、胸が躍らなかったわけではない。

福山に帰ってきて、すぐに個人事業主として所属していた企業の備後地域での旅行企画サポートの仕事をしていた。その仕事を経由して、備後地域の人や産業と多く触れ合った。この経験を経て、地域の産業や暮らす人々の生活・文化は非常に興味を引き、関心させられるものであることを理解することができた。

東京では情報が常時表層化され、いつでもどこでもアクセスしやすい環境にある。一方で、備後地域においては、コンテンツとしての熟成度は東京にも引けにとらないものが多いが、それらの多くが奥底に隠れているというのが実態である。

最初の話に戻るが、若者の多くは「福山には何もない」と語る。しかし、本当になにもなければ、この都市はとっくの昔に滅んでいる。産業が無ければ、人は集まらない。自然・文化がなければ人は飽きて、その地域から去る。まだ、この街は存続し、市政100周年を迎えている。楽観的な思考になってしまうが、つまり、まだこの都市には、資源であり宝である「何か」があるという証明となりえるのではないかと思う。この都市にある資源が、この都市を形成し続け、100年を超える長い歳月を達成している。これは素晴らしく、誇られることだ。

しかし、今後は新しい価値観を取り入れながら、福山という都市を醸成させていく必要がある。

今の福山は、100年という長い月日をかけて、先人たちが育てあげてきた資産を利用することを大前提として成り立っている。その資産というのは非常に価値あるものであり、今後も産業の発展であり、都市のアイデンティティとして息づいていくために欠かせないものである。しかし、情報通信技術の発達やモビリティ産業の急激な進化により、都市という境界線を越えることがより容易になった現代では、先人たちが作り上げた資産だけでは、この都市を今後も形成し続けることは非常に困難になりえるだろう。

そのような困難な状況を打開するために、「風の人」と「土の人」の存在が欠かせないのである。

<続く>




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