見出し画像

連載⑥“あのとき“言葉があった ー「わかるわかる」は共感なのか?ー

対話の中でたいせつだと言われるものの1つに「共感」があります。カウンセリングの神さま、カール・ロジャーズもカウンセリングの手法の一つとして「共感的理解」をあげています。

先日、午後のファミリーレストランでランチ後にそのまま一人パソコンに向かって書き仕事をしていたときのことです。私よりちょっと年配の女性グループが後ろの席で賑やかです。何やら楽しそうでどうしてもその話題が耳に入ってきます。その中でこんなうわさ話が始まります。

「〇〇さんは、話しいるとすぐ『わかるわかる』って言わはるやん。あれぜったいわかってへんよね」「そうやん、あの人の『わかるわかる』はただ言うてるだけで意味なんてあらへんねん。『わかるわかる』って言いながら自分の話をしたいだけやねん」

そんな話題で盛り上がっています。京都のおばさま方はなかなか辛辣です。本人が「わかるわかる」って言っているのに「あれぜったいわかってへんよね」って言われているのが興味深いなぁと思いながら聞いていました。でも実際にこのようにすぐに「わかるわかる」と言う人はけっこう身の回りにいます。もしかしたら自分も無意識に使っているかもしれません。
この「わかるわかる」というのは、いわゆる「共感」の言葉なのでしょうか?

共感とは辞書的に言えば「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること」です。あくまでも主体は相手であり、その相手の意見や感情を「感じとったよ」と相手に伝えることが共感です。

さらに言えば、その共感も2つに分けられます。一つは相手の感情をそのまま自分に写し取る「情動的共感」です。たとえば相手が喜んでいる姿を見て、自分もいっしょに飛び跳ねて喜んだり、涙を流すなどです。これは相手にも伝わりやすい共感ですね。よく「自分のことのように喜んでくれた」とか「親身になって心配してくれた」なんていう言葉を聞くことがあります。これはそこに至るまでのストーリーを共有していてこその共感だと思います。

受験勉強を一生懸命した結果としての合格、苦しいリハビリテーションを乗り越えての退院、努力を重ねたうえでの目標の達成など(逆の場合は哀しみや悔しさになるでしょうが)、本人がどんな感情、気持ちでここに至ったかを身近で知っているからこそ、その感情を写し取るように感じることができるのでしょう。「寄り添う」という言葉もよく使われますが、そういったプロセスも見守っていてこその寄り添いですから、安易に「寄り添う」という言葉を使う人はかえってにわかには信用しにくいなと思うことがあります。

ただ、この「情動的共感」は、自分の身近な人には生じやすいのですが、自分の知らない人や目の前にいない人、人づてに聞いた人の話には生じにくいという傾向があります。

もう一つの共感は「認知的共感」と言われます。相手の感情を写し取るのではなく理解するという共感です。自分はその感情にはなっていないが「その気持ちはわかる」ということです。たとえば相手が悲しんでいる姿を見て「悲しんでいるのだな」と理解するように、相手の様子であったり、その状況に至った背景を知ったうえで相手の気持ちを理解するということです。その気持ちを相手と同じように感じ取ることはできないが、「きっとこんな気持ちではないかと察することはできる」ということです。この場合もこのプロセスに「寄り添い」のスタンスがあります。だから話を聞くときに相手の状況を察して相手の感情に思いをはせるところにこそ「寄り添い」があります。

カウンセリングや傾聴ではこの「認知的共感」が大きな意味をもちます。なぜなら自分には身近な人でなくてもこの「認知的共感」はできるからです。むしろカウンセリングや傾聴には「情動的共感」よりもこちらの「認知的共感」をもつほうが相手の情動に巻き込まれずに適切な対処ができるとも言えます。相手の気持ちは受け止めながらもそれに支配されることなく冷静な自分でいることがカウンセラーや相談される側には求められるからです。心理学者のP.ブルームは「社会的なものごとについて判断するときは(情動的)共感に基づくべきではない」と言っています。

「共感」と似た言葉に「同感」というのもありますが、これは「(自分が)他人と同じように感じること」であり主役は自分です。これに対して「共感」は「(相手が)感じていることがわかる」ということで主役はあくまでも相手です。だから「同感ではないが、共感する」または「共感はするが、同感ではない」ということが成り立ちます。同感を表すことも対話のなかでは一つの要素ではありますが、主役の座を奪わないように気をつけたいものです。

ファミレスの話題に戻って、うわさ話の的になっていた「わかるわかる」を連発するおばさまはどうでしょう。安易に繰り返されるその言葉は「自分も同じように感じる、同じような経験をした」という自分が主体の「同感」の意味合いが強いように思われます。そうなると聞いている人には「人の話にすぐに自分を重ねてくる人」という印象を与え、「共感してくれている人」とは思われないでしょう(事実、ファミレスでの会話でも「あの人は自分の話をしたいだけ」と一刀両断されていました)。

そもそも人の気持ちなどそう簡単にわかるものではありません。もしかしたら「わかるわかる」で逆に『わかってもらえていない』とがっかりしたご経験をおもちの方もおられるかもしれません。Tomopiiaでは利用者さんと対話を通じて闘病に寄り添ったり、サポートを行っていますが、この「わかるわかる」という言葉については、口癖になっている看護師さんもいないとは言えません。同感を表すことも対話のなかでは一つの要素ではありますが、頻度が多いと主役の座を奪ってしまうこともあるでしょう。それを言う前に「自分は同じように感じているのか(同感)」それとも「相手がそう言っている感情は理解できる(共感)」なのか、どちらを伝えたいのかを考えることも大切なことと思います。


プロフィール
●松井貴彦(まついたかひこ):Tomopiiaアドバイザー。国家資格キャリアコンサルタント。同志社大学文学部心理学専攻(現心理学部)卒。リクルート、メディカ出版、会社経営を経て「ライフキャリアコンサルタント」としてナースを主とした医療従事者、シニア世代のビジネスマンのキャリアコンサルティング、研修、カウンセリングを行う。また大学講師として「キャリアガイダンス」「経営学」「社会学」の教壇に立つ。著書に「家で死ねる幸せ」(どうき出版)「正しい社内の歩き方」(ベストセラーズ)「よくわかる部下取扱説明書」(文香社)など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?