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「封印」 第八章 組織



 南耀最南端の街・セネゴグに、近隣の村や病院から次々と病人が運び込まれてきていた。ダムナグの医療施設も例外ではなかった。以前は実験目的の為に人材を確保する事に苦労していた研究者達も、今は溢れる人で逆に困っていた。
 どの病人も、一貫して、高熱、幻覚、そして数日中に死亡。感染経路は唾液と粘膜を通した濃厚接触。感染者は異常な力と感覚の発達を見せ、拘束と隔離の失敗が続き、地元警察や消防だけではとても手に負えなかった。
 ザレスには効いた新薬ヒポラが効く兆しも一切見えない。
「室長」
 疲れたマスク越しの声に、室長は足を止めた。職員の両目は充血していた。
「村人をどうします?」
「患者は…」
「違います。死体です」
「移動させるしかないでしょ」
「どこにですか?」
「どうでもいいでしょ」
 栄養失調を口実に入院させるか、逮捕し、実験に使う。戦闘状況を触発するため、水資源、医療物資の供給を独占し、さらに課税する。そんな事をしてまでかつては人材を探していた。そして実験の結果発生した死体の処理は数が少ない故に秘密裏に行う事も出来た。
「病院に送り返すしかないんじゃない?」
「どこの病院ですか?」
 この島の医療システムは完全に崩壊していた。
「これはパンデミックです。政府に連絡を…」
「まだだ」
 室長は拳を握りしめた。
「もう少しで新薬は完成する」
 外で、銃声が響いた。一瞬伏せて、窓に二人は顔を寄せた。武装した男達が、バイクとトラックに乗って、畦道を走って行った。その道は南の山々に続いていた。彼らの甲高い歓声と歌声がかすかに聞こえた。
「最近多いですね」
「傭兵? 誰が雇ってんだ?」
「原住民の様です」
「…どうなってんだ…」
 今までは、密猟を行う傭兵や武装組織から身を守る為、または地元警察や軍との交渉を有利に進める為、原住民達は武装していた。ダムナグの施設開発事業と揉める事も多かった。密林の多くにはいまだに弓矢を使う部族も少なくはなかった。
「南の施設、連絡は取れた?」
「いえ、まだ返事が来ません」
 翌日、警察のジープが同じ道を走り抜けた。それに続いて、南燿軍の連隊が南に向かって行った。同じ日に、北海政府から、施設の職員全員に退避勧告が下った。
* 
「反乱軍に気をつけろ。南に行こうとしている奴らが多い」
 無線から届く部長の声は疲れていた。隣の相棒はもっと疲れていた。
「反乱もいいけどもう免疫力ないんだけど」
 を掻くヒカズに、エテューは無言で同意した。
 ここ数日、働き詰めだった。軍が虱潰しに町中の家屋に殺菌剤をばら撒く為、町の案内と周囲の封鎖に明け暮れていた。その挙句、南耀での反乱のニュースが入ってからは、武装勢力を対象にした突入が行われ、より厳重な警戒体制と重厚な装備を身につけて街中を駆けずり回らなければならなかった。同時に、ロックダウン中でも、普段の通報が減る事も無かった。
「南区で刺傷者発見の通報あり。住所はカラン区五番4丁目2号棟地下駐車場。2班、迎えますか?」
 無線の向こうの声は少し苛立っていた。
「ほーい」
 ヒカズはアクセルを踏んだ。エテューは無線を取った。
「こちら2班、現場向かいます。軍への応援誰か送ってください。どーぞ」
「こちら司令室、通報を処理し、軍への応援へ速やかに戻るように」
「了解、です」
 エテューは無線を置いて目を擦った。
「またダムナグ社の人間かね?」
「なんであいつらあんなに嫌われてんの」
 相棒はウィンカーを軽く弾いた。
* 
 カランビットの刃を拭って、シエラは車から降りた。
 携帯で写真を送り、背を向ける。
 殺しをした後、シエラは、いつも踊りたくなる。いつもはそのままクラブに行く。でも今は、南耀の、作戦司令室にいる。
「今まで拉致され、実験されてきた人たち。それを救い出すことも目的になる。彼らこそが証拠で証人。救いだし、保護する」
 ライリーが率いる組織はどんどん数と力を増していた。
「この抵抗行為の目的は、南耀と中幻住民の生存の保証と、人権の確保、そしてダムナグとデトナイツ政府による医療軍事的介入の停止とその交渉の開始にある」
 エイナン島を初めとし、南耀での感染爆発は続く一方で、ライリーと志を同じくする国軍兵士や警官、南耀の戦士達が、感染者から逃れる為、家族を連れて、トンネルを通過していた。
「この感染は、南耀では止まらない。中幻にも広がる。今後どう進化するかも分からない。ダムナグがいつ証拠隠滅に動くかも分からない。時間との勝負だ。持てる限りの戦力で、感染がもたらす混沌と共に、バハイのダムナグ施設から証拠資料と被験者を奪取する」
 ライリーの声は強さを増していく。
「元南耀軍、エイナン警察、ヤアウェ原住民…この新しい同盟を、エサーグと名付ける。ヤアウェ村の言葉で、生命力を意味する」
 部屋を満たす、沈黙の同意と希望。
「エサーグは、私が軍にいた時は、ただの先遣隊の名前だった。でも今は、もっと違う意味を持つ。病と、軍と、邪悪。俺らを押し潰す力は強い。でも俺らに残されているのは、この同盟しかない」
 ライリーの視線が部屋中を駆け巡った。
「ここまで生き残った。俺らなら、出来る」
 ライリーの目がシエラと対峙した。シエラはカランビットを抜き、テーブルに突き下ろした。
「あんたを信じる」
 ライリーは頷いた。
「お前らとなら、出来る」

「お疲れ」
 シャワーから出て、エテューは部屋の電気を消した。床のオレンジ色のLEDが部屋の角とベッドを淡く照らした。
 外では蝉が鳴き続けていた。
 タブレットを手に、彼女はベッドの上で体を伸ばした。
「東威、結構高そうだね」
 エチューはエリの肩に頬を寄せ、画面を覗き込んだ。
「春節はそうだな」
「旅するなら、プロジェクターとか持ってってもいいかもね」
 うん、とエテューはベットに入った。
「車で行くなら、特にね」
 エリは頷き、エテューの腕に頭を寄り掛けながら、スワイプし続けた。
「どれにしようかな」
 部屋の角の本棚と、床に置かれた彼女の眼鏡をぼんやりと、オレンジ色のLEDが照らしていた。きれいだな、とエテューはそのぼんやりとした光に手をかざした。
「旅行サイズっていうのが、あるみたいよ」
 彼女の声に、エテューは頷いた。オレンジ色の光に柔らかく光る彼女の顔を見ていて、心が妙に満たされた。何か温かいものがトロトロと流れ込んでくる様な感覚だった。
 自分とエリとが、何かが、繋がっている、という事を感じた。彼女は自分の為に、自分達のために、何か、とても小さな事を、同じ事を求めている。 
 幸せとは何かを、理解した。
 愛しているという時よりも、言われる時よりも、強い感覚だった。
「今、すごい幸せだよ」
「え?」
 エリが小さく笑った。
「何が?」
「なんか、説明できないけど、幸せを感じた」
「何それ」
「小さな事だけど、俺らの未来をしっかり考えてるんだな、っていうか、説明できないな」
「まあわかるけど」
 そういうエリの声はもう少し優しかった。エテューはその口に唇をつけた。エリは柔らかくそれを受け止めた。
 ベッドの隅にある小さな窓から見える街の明かりが、いつもよりも少し明るく多く揺れて見えた。
* 
 バハイ南端のナイトクラブ“リベル”は今夜も賑わっていた。空が白んでようやく客がいなくなり、セキュリティ達は支払いを手にそれぞれクラブを後にした。そのセキュリティの一人は、近くの東威料理屋で焼き飯を食べてから、いつも始発で家まで帰る。普段より多めに稼げたその夜は、いつもの豚肉ではなく海鮮を注文した。
 その日、満腹になり、駅まで歩いていたところを、一人の外国人が呼び止めた。中幻系の片言の南燿語。仕事後で疲れていた。でも、親が中幻系だったそのセキュリティは、その夜は良心が優った。
「どうしたんだ?」
「コンビニ、どこにある?」
「すぐそこにあるだろ」
「Wi-Fiが必要」
「コンビニ、あると思うけどね」
「どこ?」
 携帯で調べ、近くのコンビニまで連れて行った。
「ここでネットにつながるだろ」
「ありがとう。仕事知ってるか?」
「セキュリティ以外、知らないなあ。喋れないとね、ある程度言葉が
「ごめん、わかんない」
「まあ、じゃあ頑張ってな」
「番号教えて」
「…いいよ。電話出られるか分かんないけど」
 一瞬迷ったが、電話番号を交換し、セキュリティは家に帰った。
 夜遅くに、一度、かかってきた。でも出なかった。疲れていたし、これ以上関わる願望も必要性も感じなかった。

 その中幻人の名前は、ファエサルと言う。ファエサルは、コンビニでWi-Fiで上司と繋がり、迎えを待った。コンビニの中で待とうとしたが、やがて店内から追い出された。駐車場で待っていると、小便がしたくなった。裏手に回り、用を足す。足しながら、路地の先で、何かが動いた。
 うめき声。
 痛みだろうか? 周囲を見ながら、チャックを閉める。目の前の路地の壁に、血の跡があった。
 うずくまる人影を振り返る。
 人影が地面に崩れる様に倒れた。
 ファエサルは携帯を取った。警察には関わりたくなかった。故にさっきの南耀人に電話した。
 電話には誰も出なかった。
 コンビニに走り、事情を説明するも、理解は得られなかった。
 路地に戻った時、もうそこには誰もいなかった。大量の血の跡だけがそこには残っていた。ファエサルは足早にその場を発ちたかった。勘違いされては大変だし、不吉だった。軽トラがコンビニ駐車場に停まった。迎えだった。
 ファエサルはその車に飛び乗った。

 エテューの弁当箱にエリは手際よく卵とウインナーをかき入れた。
「なんか、港変みたいだね」
 弁当箱をリュックに入れながら、エテューはテレビと携帯を交互に見た。
「また地震、大丈夫だと思うけどさ。津波も心配ないって」
「なんか最近多いよね」
「出かけない方がいいぞ」
「でも私空港行かないと」
「やめとけよ。まだロックダウン続いてるんだよ」
「でもほら、あの子、送ってあげないと」
「近所付き合いが過ぎないか?」
「しょうがないでしょ、約束したんだから」
 むう、と唸って、エテューは帽子を被ってホルスターをベルトに差した。
「じゃ行ってくるよ」
「気をつけてね」
 キスをして、エテューはアパートを出た。
「車置いてってねー!」
 手を振って、エテューはバス停に向かった。携帯が震えた。相棒のメッセージだった。
「今度は公安が来るってよ」

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