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散文集:記憶達「戦争に行く」

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記憶 戦争に行く 

ある国で悪事が発生し、国連や世界各国がその国に攻め込んでその巨悪を倒す。そういうことが起きた場合、自分はどうするのか?多分何もせず、その時にまだカナダにいるとしたらそのままの状態で静観すると思います。戦場が日本かもしくは日本に近かった場合、家族や友達を避難させることができるならそれを補助すると思います。
 しかし同時に、例えば中国で明確な悪:例として民族浄化や他国への侵略などが起きていて、世界中がそれを止めるためにその国に攻め込んでいたとしたら、自分も参戦するかもしれないな、とぼんやり思いました。中国だけでなく、アメリカやイギリスでも同じような感覚になると思います。その感情をもっと掘り下げていくと、多分、今自分の生活自体がそこまで悪くなくてもそこまで良くも無く、未来なんてどうでもいいというぼんやりとした感覚がどこかにあるからかもしれません。アクション映画の見過ぎというのもあります。そして、歴史的に、大日本帝国やナチスを人類が力を合わせて倒したというかなりシンプルな歴史の見方も影響しています。何よりも、ぼんやりとした鬱憤を誰かに正当化された状態でぶつけたい、というのも大きいかなと思います。

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 ここで、アメリカの平和なデモの中で、暴動化してしまう人たちの中には、どこかそういう心境を共有している方もいると思います。正義感と、自己満足感と、無力感、自分の考えを発信しなくてはいけないという焦燥感、他人が道を逸れてしまうのではないのかという恐怖感、ある特定の歴史への感覚的な理解、それら全てを具現化したいという思いが暴力に変わる時。
 何かを変えたい。そいういう気持ち。自分の現状、他国の惨状、他者の価値観。戦争は価値観の衝突。共通するのは、失われた命はもう戻らない。その圧倒的に不可変なリスクがある限り、やはりいかなる衝突も、戦争を含んだ暴力では無く、それ以外の、対話や文化的及び民族的融合、経済・政治的和平などの、時間がかかる方法で解決することに、僕は一票入れたいなと思います。
 大家さんの6匹の猫の内一匹が肺癌で死んだのと、祖母が倒れて大腿骨折ったのでちょっと落ち込んでます。パソコンの調子も悪くて5分くらいのHD映像を数日かけてもまともに書き出せるかわかりません。皆さんお体にお気をつけて。仲良くね!

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