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借金ができたのに就職しなかった話

お金ノートvol.1に書いた28歳の時に就職せずにフリーランスになることを選んだ。とばっくりと書きましたが、、、

ブランドを解散した後、いろいろな作家さんの商品を集めて、POPUPを開催をしたりしていました。幸いブランドの顧客さんや友人たちが、会を催すとお買い物に来てくださったのです。(画像は当時のPOPUPの様子です)

しかし、、、場所を借りて2回目の開催日。東日本大震災が起こります。

オープンをして、2時間も経たないうちに感じたことのない揺れが起こり、一緒にいた友人を、1歳になっていない赤ちゃんを抱いたお母さんと、お子様が2人いらっしゃるお母さんと外に飛び出しました。

まるで、神様にその道じゃないよって言われているようでした。

準備にかかった経費(DMや郵送費)や、場所代など、が回収できずに終わります。わずかな貯金を食いつぶす!

何したらご飯食べていけるんだろう。と思いながら、週末だけ派遣で販売員をしたりしながら模索を続ける日々。とにかく私が就職できる範囲じゃ借金返して家にいるしかできないんじゃ!!!と、とても焦っていました。

ちなみにそんなさなかに有名なスタイリストさんのアシスタント募集があったので、履歴書と手紙をつけて送ることに。

母や姉があなたにできる仕事ってああいうことじゃない?とテレビで特集をされていた風間ゆみえさんの仕事を見てそういったのです。

後日履歴書を送ったスタイリストさんの事務所の社長さんと面談をすることに。

たまたま1作品だけプロモーションビデオのスタイリングを手伝ったことがあってそれを見せると、「自分でできるんじゃない?」とぼそっと。アシスタントの条件としては3年間程度無休。ということでしたが、借金があって無休は無理だと断念します。

でも、面接に行って「自分でできるんじゃない?」とおっしゃていただいたことを糧に、なんとか自力でやってみようと踏み出します。

当時twitterで地震後にいろいろな会話をしている中で、同じような志を感じるスタイリストさんや、アートディレクターの同世代の女性と出会います。

これは私にとって今につながるとても大きな出会いだったと思います。

そんな中ちょっと時が経って、原宿にあるシェアハウスの共有スペースで集まる会にアートディレクターのCちゃんが誘ってくださって遊びに行く機会がありました。

下の階にシェアオフィスがあると案内していただいた時に、Cちゃんとこういうところ借りたい!と盛り上がります。

今の環境を飛び出して、なんとかフリーランスとして仕事をするための環境に身を置かなくては。と感じていたのでこれだ!!!と直感で感んじました。とにかく人脈を広げなくては!私フリーランスで仕事したいんです!って宣言しよう!と。

タイミングも運もよく、トランジットが経営するportalpointが表参道にできる予定があって、申し込むことになりました。

続く。


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