体はどこへいく?そして元の社会で得るものは?

「何もかもが動かなくても人によっては得ることができるようになった時代。では、その体は何のためにあるのだろうか。」

書いているときはおはようございます。

もなりんです。
ここ最近は少しのんびり投稿になってしまっていますが、朝のうちにはやりますのでご了承ください。

ちょっと最近は一発で起きられなくなっているのが気になってますが…。

それにしてもちょっと気になったデータを見つけました。

日本の自殺者の数です。

自分の知る範囲で、しかもデータは若干古くて申し訳ないのですが、4月5月で自殺する人というのはなかなか1面のニュースには挙げにくいですが、一定数は確実にいます。
とりわけ多いのは都心部なのですかね?

それで、今年はそれでどうなったか。

自殺者は減ってます。
昨年度までと比較して。

ていうことは、どうなのか。

学生や社会人にかかわらず、そこに向かうことでの弊害をいままで感じて生きている人が結構な数いたのではということが推測されます。

あるいは、そもそもウイルスCで自粛になったから出かける機会そのものが減ったからなのでしょうか。

まあ、先週まで一医療者でしかなかった人間ですので、細かな分析とかなんかはその辺に詳しい人に譲るとしましょうか。

ただ、そうなると気になるんですよね。

「生きるって、何だろう?」

…質問が壮大すぎて申し訳ありません。

ただ生物の根本を考えるとそう思いざるを得ません。

本来は、まさに何もない状態からとにかく

生き残るために行動していました。

それこそ、野生生物かもしれないですし、他の部族からかもしれない。

病気かもしれないし、天災かもしれない。

今も災害対策であったり予防接種であったりで、そのためのことはなされています。

だとしても、やはり「自殺する」ことになる選択をしなければならないというのはやはり不自然な思いになります。

となると、考えられるのが。

生きる手段というのを、まるで何かに刷り込ませて学校か会社に行かせているとしか思えないんですよね。

そうさせられているのが、この世の中かなとおもいます。

それが昨日の話でもあり、下の投稿にもつながるのかもしれません。

必要がなくなる」から「やらなくなる」|もなりん @tomomontt #note https://note.com/tomomonttbb/n/nb4e79790783b

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