トレーニングはどこまでよいものか。
「別に重たい鉄の棒を持ったところで、身体的によくなるのかな?」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
今日はトレーニングの話。
人に限らないのですが、普通の動物なんかは本来は何も持たず、それぞれの身体能力を生かして生活しています。
人は農耕でも狩猟でも、その動物の能力をいかして生活を営んでいた面もあります。
それらが使えない場合は、みずから稲を刈ったり地面を耕してきた訳なのですが…。
さて、現代の日本人をみてみましょう。
いつ、体を使う場面があるでしょう?
移動するにしても、もはや乗り物がさまざまに発達してあまり動かなくても行けるようになりました。
重たいものを持つのも、引っ越ししたり、あるいは運送業の人とかがやるくらいでしょうか?
農家でも、かつての身体労働は相当少ないと思われます。
一部の人を除きますと、やはりあまり使わなくても生活が成り立っていますね。
するとどうか。
体の中の「動くためのエネルギー」が有り余ってしまうような感覚になります。
仕事でも頭ばっかりしか使わないので、体は固まり、使わないから使いきれなくなってしまいます。
じゃあそのエネルギーはどう使っているか。
何かに昇華することになりますが、わりと多いのはスポーツであったりあるいはジムに行くということになります。
で、そこからが問題なのですが。
「そもそも、ジムでみるようなものを持ち上げる運動って、どこで使われるか?」
確かに重たいものがどこまで持ち上げられるかというのは、重さを設定できますから分かりやすい一面があります。
またエネルギーを使いますから、人によっては気持ちいいと感じる人もいます。
ただ、気をつけてほしいことがあります。
それは単発的な箇所ばかりの鍛え方になりすぎてしまい、自分の身体が耐えられる負荷以上の負荷をかけすぎてしまいかねないということです。
人の体は、そこまで単純なものではありません。
ある動きができるから、それだけ強い力が出るというのもあるかもしれませんが、実はある意味では体を弱くしているところもあります。
体が弱くなるから、サプリメントをとったりして補強し、またトレーニングをするのは一見するといいかもしれません。
しかし逆にいうと、そういうのをとらないといけない体になってしまい、本来もっていた免疫系が抑制されるという可能性もあります。
さらにいうと、その重たいものを持てる動きができるからって、普段の生活でどこまで使えるかというと意外と使えないところが多いです。
だとしたら、どうするか。
トレーニング自体は否定はしません。
もし、それがどうありたいかを叶えてくれるなら。
しかし今の世の中のジムとかのウェイト信仰ははたして自分の体を支えてくれるものなのかなと思うと、正直疑問を抱きざるをえません。
本来あった自分の体をささえるための運動とかが、今の世の中には使わなくなったからでしょうかね。
どこか、本質からずれているのかもしれません。
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