時には自然をみる
「都会とか、人が多いところで周りが人工物ばかりですと、どこか気が滅入ってしまいかねない。
ふと空をみたり、河川敷や海で水の流れをみたり、そういうものは常々あるといいもの」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
元々周囲が畑や田んぼ、あとは適度に一軒家がある田舎に20年以上に住んでいたせいか、都内近くにいて周りがコンクリートに囲まれ、人の交わりが建物内以外ではあまりなくなってきているこの頃です。
とはいえ、野球とかでは大体河川敷にいくので土とかに触れる機会がありますから、それはそれでいいのですが。
如何せん、それ以外のときには大体コンクリートとアスファルトの世界。
周りの人もそれに合わせるかのようなもの。
そりゃ、気が滅入ってしまいかねないです。
確かにコンクリートとかで均された場所は、足元としては転びにくかったり、画一的になったりして、うまく整えようとしているのはわかります。
そこには人の性として、「ある規格にのっとって」やりたいのかなというのはあります。
だとしても、そこにあるのはむしろ「不自然さ」。
整えた結果、ますます「不自然」を産み出すことになってしまう。
さらに無理に「不自然」に合わせようとしたら、ますます体にもおかしさが来してしまう。
さて、どうしたものか。
こうしているうちにも、どこか変な感覚になる。
周りに合わせているほど、疲れることはない。
そんななか、ふと海をぼーっとみたいと思い、いってみたときがありました。
引っ越して海の近くにいながら、のんびりみる機会がなかったので、一度いってみたかったのですが。
やはり、というべきか。
ただそこで何もしなくても、今までのもやもやしていたものがとれた、そんな感覚になりました。
ただそれは一時のはなし。
現実にかえるとまた戻されますが、それでもその瞬間にいて、気が楽になれたのは事実。
それで思ったこと。
海を加工しようとしたら、どだい無理な話だな、と。
やはり、その自然にあるべきもののなかに、よくなるヒントがあるのかもしれません。
という、今日もまた個人的な話。
どこか、忙しなくある世の中で、ほんの一時でもボーってなれるときがあるのなら、それはそれでしあわせなのだろう。
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