私の教育観

はじめに

 私は大学卒業後、中学校や放課後等デイサービスで働き、子どもに関わる仕事に常に関わってます。私が子どもと関わる上で大切にしていることを以下に述べます。他の人との教育観の共有や、自分自身の振り返り、考え方の変化に気づくために文章にしたいと思います。

1つ目:その場にいるだけですばらしい

 これは目の前にいる子どもたちに対していつも思っていることです。世の中には、外に出ることに非常にエネルギーが必要な人もいると思います。そんな中で、学校や放デイなどに来てくれていることは素直にありがたいことだと思います。また、私の場合、「きつかったら無理しないで」とも思っています。余談ですが私が中学校を退職する直前の数日間、担任していた子どもたち全員が、登校し続けてくれていたことは、本当にありがたかったです。

2つ目:どうすればよかったのかを一緒に考える

 何かに失敗した時、人によっては悲観的になったり、さらに失敗を重ねたりしてしまうことがあると思います。子どもが自分で自分が悪かったことに気づいている場合は特にそれについて言及せず(善悪がそもそも分かっていないことによる行動の場合は話します。)、今後どうしたらよいのかを一緒に考えます。そうすることで、それを意識して行動してくれる場面が見られました。

3つ目:不必要なルールは押し付けない

 学校の一部の校則など、私が合理的に説明できないルールについては、子どもたちに押し付けていません。「おかしい」という子どもの意見も肯定します。ルールの必要性について説明することがありますが、同時に既存のルールが本当に必要かどうか吟味することの大切さも話しています。それによって甘えたことをいう子どもが増えたということは私の中では感じていませんし、逆に「このルールはおかしい」と気づきながらも、「このルールの通りでもさほど問題は無いからとりあえず合わせておくか」と反発する子も少なくなりました。

4つ目:冷静にわかりやすく伝える

 たまに感情的に子どもに対して話している方がいますが、私は事故の未然防止のために大きな声を出すこと以外は冷静に話すようにしています。冷静に話すことで子どもは純粋に話の内容を聞こうとしてくれます。怒鳴っていては子どもの心のなかに「なんだこいつ」といった感情が芽生えることも予想されます。そのため冷静に話すようにしています。
 私にとって「分かりやすく伝える」というのは、相手に合わせて伝えたいことに近い例え話を使うことです。例えば、スポーツの失敗を責める子がいた時には、「テストで100点を目指して必ず取ることは出来るのか」を尋ね「できない」と子どもが答えたあと、「スポーツも同じように、その通りにできないことだってあるんだよ」というように子どもが理解しやすいように伝えるよう心がけています。

5つ目:自分が人としての見本になれるよう努める

 私が特に気をつけていることは、時間を守ることです。「先生が授業に遅れながらも、その分授業終了を遅らせる」といったことがあっては、子どもに「時間を守れ」という資格はないと思います。そうした人としての見本になれるように努めることも必要だと考えます。

おわりに

 私の教育観を紹介しましたが、もちろんこれらが全て正しいわけではないと思います。私が退職した学校の先生方の雰囲気的には私の指導は甘いと感じられていたとも思います。しかし、人によってスタイルの違いはあっていいと思います。今後も様々な教育観に触れて、自分なりの教育観を形成していきたいと思います。

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