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映画も作文も同じ。「自分の変化をどう表現するか」に感動が宿る

今週は、映画鑑賞が続きました。

1日のうち2時間をがっつり取られるわけだから、良いものをみたいと思うし、誰かと見るなり仕事終わりのご褒美にするなり、その時間をめいいっぱい楽しみたい。

今週はこの3本を観賞。


見終わって思いますが、「いい」映画かどうかは、メジャーだろうが自主制作であろうが関係ないですね。

製作者の意気込みとか、想いとか、なにが目的だとか、そういうのが全部見える。下2つは、テーマも身近だったし、知り合いや友人が関わっている映画だったりしたので、ストーリー以上に気になるポイントがいくつかありました。

そして何よりも、この時期に、公開してエンタメを作り続けてくれている関係者には感謝とエールを贈りたいです。


さて、以上3つを観賞して、それぞれの映画がどうとかああとか、映画評論家みたいなことは私にはできないので、自分なりに思ったことを忘備録として。


映画を見て「面白い」と思う時、そこにはきっと、「共感」が必ずあるはずですよね。

スケールの大きな撮影や、豪華な俳優陣、ストーリーの起伏など、「すんごい技術!」でものをいわす作品もあると思うのですが、

私はやっぱり、主人公と自分との<シンクロニシティ>が、その人にとっての面白さを決めているな、と思いました。つまり、自分とどうリンクしているのかということ。

三国志は歴史×ギャグという斬新な切り口ではありましたが、個人的には、自分とのリンクはなに一つ感じ取ることができず、面白い人たちが面白いことを言っていて確かに笑えるけれど、やや間延びした時間がすぎて行きました。(あ、私は福田監督の作品は基本的に好きです♡)

下の二つは、家族の再生がテーマだったり、癒しを通じて成長していく女性だったり、主人公の抱えている葛藤がわりと親近感のある設定だったこともあり、作品の中に入り込みやすかったなと思います。しかも、(「未来へ〜」は愛媛県で撮影された映画ですしね!砥部焼、ほしくなった♡)


全然違うタイプの作品に触れてみて改めて思いますが、

作品に感情移入できないと、やはり2時間という時間はあまりにも長い、ということです。

感情移入できるかどうかというのは、つまり、この物語を自分ごとに考えられるかどうか。そういう時間にならなければ、自分の2時間を提供してまで見るということへのハードルが上がってしまいます。


作文もそうですが、映像においても、結局は「<変化>を表現する」ことだと、私は思っているんですね。

「感動する」とよくいうけれど、感動とは厳密には「変化」の中にあるのではないでしょうか。変化が起こらなければ、成長もないし、気づきや発見も得にくい。

感動は、物語を通して、主人公が「変わる」ことの中にあるし、そこに共感が起こるということだと思っています。

これを伝えずには、製作せずにはいられない、という衝動は、「私の美しさを見て・・!」というナルシズムから発せられるものではないはずで、

この作品に宿ったメッセージが見る人の心に新しい発見や気づきをもたらすのでは・・!という、根拠のない自信から発生しているものなんじゃないのかと。


だからこそ、

2時間をかけて、なにを得ることができるのか?

私はどうも、そんなふうに作品と対峙していることにも気づきました。。多分、もっと知らない世界を見たいし、もっと揺さぶられたいし、今ここで感情だけでも旅をしたいと思っているんでしょう。

立場も考え方も、なにもかも違う映像の中の主人公と、自分とがどうリンクするのかが、面白さを決定付ていく。変化をどう表現するか、にオリジナリティが出る。

そのように考えると、自分が今手掛けているものが、読者やそれを見る人との「重なり」を作れているかどうか、点検がもっと必要だと思いました。


偉そうに書きましたが、「伝える」というのはそれだけ責任のある仕事だよなと思うのです。誰かの人生を変えてしまうかもしれない、というような。そして、その責任のぶんだけ面白味がますというような。

だから、できればその責任をもっと楽しんでやっていきたいし、業界がもっと盛り上がって面白い作品がもっと生まれて欲しいなあと思います。





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