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「うまく書けたね!」ではなく「あなたにしか書けないね!」を見つけたい

小学生さんの物語作文を、添削させてもらった。「小説家になりたい」という彼女は、とにかく想像力が人並外れて高い。同時に無類の本好きで、情報量がとてつもない。

私なんかよりすでにものすごい筆力を持っていると思うが、小学生さんなのでやや粗が出てしまうというところ。

これまで何回か伴走させてもらい、物語の精度がグングン上がってきた。起承転結がまとまってきたというか、表現力が伸びてきたというか。

数回前はもっと淡々とした文章だったなそう言えば・・!という驚きと喜びが今日はあり、成長を感じさせてもらえるのは何よりもありがたいことだ。


子どもによって、文章にも癖や得意不得意があるだろうから一概には言えないけれど、

とにかくハイファンタジー系の、突拍子もない設定やありえないことの連続を描くのが得意な今日の彼女は、どちらかというと「心情描写」が苦手なようだ。どこか淡々としているというか、あっさり受け入れすぎているというか。

そこを強化して、すでにできている物語(起承転結)の中に盛り込んでいけば、随分と印象が変わるだろう。私はそう解釈し、添削ではその辺りのアドバイスを中心にまとめた。

きっと彼女は、自分の感情を表現することが苦手なんだろうと思う。情報処理能力が高く、瞬時に色々受け取ってしまい、現実にはさほどリアルな実感を得にくいのかもしれない。

ーー感情を描く、彼女にこのポイントが加わったら、生きやすくなるんじゃないかな・・・・(妄想)

もちろんこれは、私個人の独自の解釈であり、見方。他にも目の付け所はもりもりと見つけられるだろう。

けれど、私が子どもに教えるときに大事にしているのは、「何を伝えないかを決める」こと。クラスの目的は、「大事にしたたった一つのこと」だけに狙いを定めて、それを持って返ってもらうことだ。


どこをどう伸ばすかって、その子によってきっと違うと思う。作文にしても物語にしても、「上手さ」の基準は、先生によっても、提出する先によっても、きっと違うだろう。

評価の基準は、いつも変わる。揺らぐし、一定じゃない。

子どもたちが、評価に惑わされずに、自分の根っこを太くしていくには、どうしたらいいか。添削でも、そういう視点がものすごく鍛えられる、と私は思っている。

「うまく書けたね!」ではない、「あなたにしか書けないね!」にもっともっと注意深くなって、引き上げていきたいなと思うのである。

クラス後、添削をもとに書き直してもらった物語が、一段と面白くなっていて、、、これには感動した。その子の飲み込み力、応用力の高さにおののき、この方向でいけ、と太鼓判を彼女に押してもらったような気にもなった。


私には自慢できることがあまりない。けれど、子どもの作文からその子の心理状態を読み取るのは得意だと胸を張って言える。

他人紹介文を書いてもらったりするとね、もうダダ漏れ。言葉ではそう書いてないのに、「あ、この子のこと好きなんだな」とか、「いつも乱暴な言い方するけど、本当はやさしい人なんだな」とか。見える見える、筆跡鑑定とか手相ばりに「作文鑑定」できるかもと思うくらいに(笑)。

なぜそれができるのかというとね、書くのが好きだからでも本を読むからでもありません。

私自身が、まだ立派な「子ども」だからです。どこかで、子どものまま、大人になってしまった元・子どもだから。子どもがどういう時にどう表現してしまうか、これをいうと大人がどう反応して、自分がどう感じるのか、そんなことについて意識的に過ごさねば、生きるのがしんどかったおかげで養うことができた能力。

この才能(ともはや呼ぼう)を生かさぬ手はない。

そういうわけで、私は数年前に、この才能を子どもたちのために使おうと決めました。子どもの心の声が文字に乗り移ったような気がする作文に携われることは、これからも続けたいし、それができる自分が幸せでもあります。

もっともっと、この分野のことをテキストにまとめていきたいという気持ちも高まっている。うむむ、どこから着手すべきなのか、それが私にできるのか・・・

その前にこれから受験シーズン。お問い合わせもチラホラ。クラスの開校は年内お休みする予定ですが、作文添削はお気軽にご利用ください。




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