ことばの標本(22)_「報われなかった今で幸せ」
「大人になって、人生って報われることが全てじゃないんだなと。ただ、報われなかった今は、報われなかった今で幸せだなと。」
(NHK BS1による中継インタビューに応えた羽生結弦選手の言葉)
冬のオリンピックには縁がなさすぎて、気になったものをポツポツと偶然見るだけで、盛り上がることなく閉会式の今日を迎えてしまった。
フィギュアスケートは女子が花形でしょう、ってことで、唯一ライブで拝見してワイワイしましたが(いつの間に女子4回転時代が来ていたの!)、男子のそれも、ラージヒルの金メダルも、結果を知ったのは試合後でしたし、何もかも、最終日の今日、改めて知るものばかりで大変失礼しました。
総集編みたいなものを流し見していると、綺麗ごとにまとめてあるなあという印象の一方で、気になったのは選手たちのインタビューの「言葉」だ。
いや、正確にいうと、彼らの「言葉の多さ」だったかもしれない。スポーツ選手がよく喋る、という印象を持っていなかったので、これも最近の傾向?と、注目してしまった。
悔しさや嬉しさ、それぞれのポジションで感情はさまざまに表現されて当然だと思うが、どの選手もカメラやメディアに臆することなく、話し続ける。明るくて、自分らしく、気負いがない。
まるで私んちの近所にもいそうな気さくさで、インタビューに答える姿を方々で拝見し(あ、総集編とかニュースとかで)、時代は変わったな、と感じた。
「回答が、長いな」と、思わなくはない。「もっと簡潔に」と、私なんかはつい。
でも、彼らがこれだけ言葉を持つようになったのは、一人ひとりがメディアになる時代の、然るべき姿なのかもしれないとも思う。誰かに断片的に伝えられるよりも、自分の言葉ではっきり、しっかり、伝えたい。触れるもの皆傷つけるかような、寡黙で殺気だったスポーツ選手のイメージは、この冬のオリンピックの中には、見当たらなかった。
中でも印象に残ったのは、やっぱり今日の、羽生選手の冒頭のコメントだろうか。
言葉が少ないわけもないが、多いわけでもない。丁寧に一つ一つ、手触りを確かめるように紡がれた言葉には、信じられないくらいの重みがあった。
決して、負け惜しみでも、自分をよく見せたくて話しているのでもない。自分の世界にとどまっているだけの言葉ではなく、見ている私たちに向けて放たれているのを感じる、言葉一つ一つの選択、意志。
それは、誰もが欲しかった言葉でもあり、聞くのが苦しい言葉だった。
誰よりも自分に向き合った結果得たものを、受け入れ、しかもそれを公に放つ。それだけ自分を信頼して、自分を追い詰めてきたからこその、強さなんだろうな。
自分を通して、自分の世界と対話している羽生選手から、「報われなかった今で、幸せ」なんて言葉を聞いた時、自分の底を見た人でなければ言えない言葉だと思って、震えた。