「未清算の過去」と向き合うことで、主人公は成長する
こちらを読み進めていて(亀速で読んでいます)、主人公が「自分の殻を破り」、成長・変化を遂げる脚本には、必ず「未精算の過去」が現れる、とあって、ガツンときました。
年末年始はこの本で寝正月です。ちびちび読みます。
三章の本題は、物語の構成をどう作るか、というところにありますが、そのイントロダクションにあたる箇所でこちらの文章に出会い、心のひだにめちゃくちゃ引っかかりました。
心の避難所としての思考パターンが発動することで、何度も何度も繰り返し浮上する「未清算の過去」。
ストーリーの中で、主人公が「殻を破る瞬間」を描くには、葛藤の流れを辿る必要がある、と説明されている個所で出てきます。
主人公がこれまでとは違う人生を歩む=成長・変化するには、今までとは違う思考パターンを選択し、行動を起こす必要があります。
そのためには、主人公の葛藤と決断を描くことが必要不可欠ですね。主人公の葛藤あってこそ、鑑賞者はそれを共感と共に追いかけることができる。
決断と言っても、「今日はカレーにしよ♪」なんていう、温泉に浸かったままの生ぬるいものではなく、それを選ぶことで茨の道が待っているかもしれないという、その可能性をも含む決断。
主人公にとっては、これまで同じようなチャンスが訪れていたにも関わらず、幾度なく受けかわし、真っ向から向き合おうとしてこなかった、ある意味で「あり得ない」決断です。
脚本の中では、「未清算の過去」は、ただ乗り越えるものとして現れるのではなく、その決断することで何かを得たり、同時に失うこともある、その天秤の中で現れます。
親友を助けることで、恩師を裏切ることになるかもしれない。
自分の過去を話せば、恋人を失うかもしれない。
主人公が「自分の殻を破る」ために、つまり、脚本をより厚みを持って成立させるために、主人公に未清算の過去を解消する行動を取らせることが必要なのです。
もう何だか「はい? 私のことですか?」というような内容です。
ずっと心に引っかかったままの案件。人間関係。諦めてきたこと。言えないままのこと。
未清算の過去は、自分の殻を破るまで、何度でもやってくるのだと思います。本当に「変わりたい」と思った時、人は、それまでの乗り越えられていない自分の過去と、向き合うことになるんだろうと。
もしかしたら、脚本家や小説家は、そうやって自分自身の未清算の過去と向き合ってきた、未清算の過去を精算するプロなのかもしれない、と今思いました。
持ち前の筆力で淡々と葛藤と解消行動を描いたくらいでは、人は感動したり共感したりしないでしょう。自分の血となり肉となった言葉がなければ、主人公に命は宿らない。
全ての物語を生み出してきた作家たちに、本当に敬意の念があふれます。
三章のメインのお話は、「未清算の過去」というより、そのことによって葛藤を簡略化し、点と点をしっかり繋げながら厚みのあるストーリーを結んでいく、その重要性について解説された箇所ですが、
「未清算の過去」
という言葉に引っかかってしまって、つい書いてしまいました。
年末だからかなあ。きっと自分の中で棚卸されるのを待っている感情や出来事や案件があるんだな、と思います。
未清算の過去に、ちょっと向き合ってみようかな、と。
かといって、流石にドラマティックなことは何一つありませんが、この一年の「プチ・未清算の過去」に向き合ってみるのは、悪くない気がしました。
新しいブログを始める、とかね。人間関係優先で利用していたコミュニティやめる、とかね。いずれにしても、私個人からすると若干、「ひゃー」っていう感じもあります。
それによって、失いたくない何かを失う可能性を孕んでいる。でもそれが、私自身を成長させるきっかけになってくれる。
脚本や創作の勉強をしていると、もうフィクションだかノンフィクションだかわからなくなってきます。私という肉体を使った人体実験をしているかのようです。
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