何かが始まることを恐れた10代_映画「あの頃、君を追いかけた」鑑賞

誰よりも分かり合えていた。
誰よりも好きで、誰よりも仲が良かった。

付き合わなかったけど。

そんな恋愛? 友情?
どっちつかずの、苦味と甘酸っぱさたっぷりの青春。
もしかしたら、誰にでもある記憶なのかも知れない。

青春はさっぱりだった私でも共感したのだから、きっとそう。
多分、男女を強く意識し始める10代の出会いって、大したドラマは起こってはいないのに、そう簡単に忘れられるものでもない。

『あの頃、君を追いかけた』は、そんな若さゆえの人を思う純粋な気持ちを、美しい演技と映像で再現してくれた秀作。

もとは台湾映画。公式サイトより↓

2011年、ほぼ無名のキャスト、新人監督の作品でありながら200万人を動員し、社会現象を巻き起こすほどの空前のヒットなった台湾映画『あの頃、君を追いかけた』。
誰もが通り過ぎたあの眩かった時間、まだ何者でもない自分にいらつき、怒りや諦めに襲われながらも、なぜか明日にワクワクしていた“あの頃”を描いた同作は、その後、海を越え、アジア各地で歴史的なヒット作となってゆく。
―そして2018年。舞台を日本に移し、旬の若手俳優たちにより新たな物語として生まれ変わる。

台湾映画として大ヒットを記録していたのは、全く知らなかった・・・!みよう。

私がこの作品の存在を知ったのは原作となった小説からで、これはまた追って記事にしたいと思っているのだが、ここでは純粋に、日本版の『あの頃、〜』の観賞後の幸福感を文字に乗せたい。


私がもっとも共感したのは、

男と女の間に、いつの間にかできていくズレ 

の部分だった。というか、これが主題なのかも知れない。

少年はいつか男になり、少女はいつか女になる。その歩幅には多分、ズレがある。10代で出会えることは奇跡だけれども、そのズレを凌駕するものがなければ、そのまま純粋な関係が継続される可能性の方が低いのでは。

高校時代に出会い、いつの間にか惹かれ合うようになるも、恋愛にまで発展しない、そんな二人の10年を描いた青春映画。

”付き合わないのに、お互いが一番の理解者”、という関係がありうるのか、と我が身を振り返る。

私にはそのような経験はなかったが、10代なら、どこかにそのような関係があってもおかしくないのではとも思った。

関係が発展しないのは、照れでもあるし、これ以上の関係を壊したくない、ということでもあるだろうし、さらにはきっと、

「何かが終わってしまう」ことと、「何かが始まってしまう」ことへの恐怖が、あの時代には色濃くあるからなんではないかと思う。

例えば告白されたとして、その人を受け入れてしまえば、

「昨日まで友達だった人と手を繋いだり、肩組んだり、もしかしてあんなことやこんなことも・・・・・・」

で、一人でオエッてなってた私からすると、いつまでもお互いを想いあっている、そんなつながってんのか離れてんのかよくわからない曖昧さが非常にうらやましく、美しいと思った。

何かをはっきりさせてしまうことは、何かを失うことでもあるもの。

なんだか、ずっと、その曖昧な強さを突きつけられた2時間だったなあという気がする。


最近は、原作小説が読みたいがために、映画を先に見る、ということをやっている。この作品もその一つ。

やはり映像として純粋に楽しめるうちに、映画をみたい。
台湾映画の方はまだみられていないが、日本バージョンとなった、長谷川康夫監督の切れ味鋭いシークエンスとかカット割、とても好みだった。

そして、きちんと本人と認識したのは初めてだったが、山田裕貴くんが男子特有のアホさを好演。本人とそうズレがないのかも? はまり役だった。


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