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果たして、旅先の一期一会は【デンマーク・コペンハーゲン】

少しだけ思い出話をしたくて、もし書き留めておかなければ、手のひらからこぼれ落ちてしまいそうな、デンマークのあの日の夜の会話たち。

名前はたしか、ケンさん、と言った。まだカメラを持たない旅をしていた頃の私。ううん、片手には、リコーのGRⅡだけがあった。iPhone6sとVSCOのフィルターC1。時間が経つと、途端に色あせてゆく。

あの時間は、決してなかったことにはならないはずなのに。それでも過去は、流れていってしまう。時にそれは、私たちを救ったりするのに。色よい思い出だけは、風化していってしまうのが、どうしても怖くてかなしい。

ケンさんは、デンマークの首都であるコペンハーゲンに、もう長く暮らしているということだった。

コペンハーゲン空港は、空港から北上するとコペンハーゲン市街地に出られて、そのまま東へ進むと、隣国のスウェーデンのマルメ、という街に出られる。という、つまり国境ギリギリの場所に位置している。

私は、コペンハーゲンを一通りさっと眺めたあと、そのまますっとスウェーデンのマルメを抜けて、首都のストックホルムまで電車で旅を続ける算段で生きていた。だから、空港の近くに拠点を作ろうと思っていたのだ。Airbnbで探した宿の近くに、ケンさんは住んでいた。

Airbnbのホストが、「僕たち(ご夫婦だった)には日本人の友だちがいる。トモミにぜひ会ってほしいから、彼をどこかの夜、夕食に招待したい」。そう言って、連れてきたのが彼だった。

苗字も知らない。日本の、どこに帰るのかも知らない。そう、彼は私がコペンハーゲンを去るよりも早く、7年暮らしたコペンハーゲンを、出るつもりだと初対面で語った。

私が焦がれてきた、コペンハーゲンに暮らした人。この街は、よそ者が仕事を見つけるにはとても厳しいということ。真っ平らで丘がなくて、けれどそれがすごく好きだったこと。まるで車のタイヤみたいな見た目のグミ「リコリス」を、どうしてだか強く愛してしまって、もしコペンハーゲンの友人が僕宛にいつか荷を送ってくれるとしたら、他には何もいらないから、「リコリス」だけを箱いっぱいに詰めて送ってほしいと思っていること。

日本に帰るのは、母が体調を崩してしまったからだということ。けれど、どこへ帰るのかは言わない。言ったところで、何の意味があるのかもわからない。私のことも、コペンハーゲンに数泊、あるいは数週間(本当は数日だ)滞在する、日本からやってきた女性の旅人、という情報と、下の名前以外には、知らなくていいのではないか? と。一回りくらい年が離れている、とAirbnbのパパが教えてくれた情報によって、知ることができた彼は言う。

名前は確かにケンのはずなのに、私は目の前にいる人が、他に何の属性を持っているのかを、こんなにお酒を飲み交わしているというのに、知らない。けれど、私がどうしてコペンハーゲンを旅しようと思ったのか、そのきっかけを彼は丁寧に聞いてくれたし、理解と納得を示してくれようとしたし、決して否定もしようとしない。でもそれ以上、どこまでも、踏み込んでは来ようとしないのだ。

その奇妙なバランス。出会ったことのない違和感。「あなたのことを避けている」という、気づかないふりをしても、どうしても視界に入ってしまうそれ。

一期一会。旅に出ていれば、日常の中に溢れて、溶けて、やがて出会ったこともすれ違ったことも、その穏やかな目の輝きも、忘れて言ってしまうであろう、けれど確かにあった肩のふれあいのような。

長く付き合っていた方と、さよならをしたことも、彼が帰国を決める大きな理由のひとつであったことを、私は彼が日本へと経った後、自分がコペンハーゲンを出る電車に乗る最後の日に、Airbnbのパパから聞く。

ケン。その名前が、本名だったのかどうかすら、今となっては私には確かめる術すらない。でも、「ほんとう」とか「ひつよう」というのは、一体どこからどこまでなのだろう? たとえそれが彼の本当の名前ではなかったとしても、それが全体何だというのだろう? という気持ちもある。

私が出会ったのは確かにケンだし、彼の目の前であの夜。コペンハーゲン空港の近くの一軒家、まるでおとぎ話に出てきそうな、ピーターラビットが棲んでいそうな大きな庭を持つ。二階の窓から見えるブランコに乗って、細い月を見つめていた。私たちの夜は。あったのだ。本当に。今でも。この手のひらで触れることができそうなほど、しっかりとした輪郭と質量を持つ、北欧の夜の風と葉。

記憶と妄想、創造、真実もなんども語ってしまっては、語った回数の方に記憶が寄ることもあるだろう。誰にも語らない、語るまでもない、けれどそういう「とりとめもない瞬間」の連続で、私たちの「今日」は作られる。滑り落ちていって欲しくないから、きっと私は、文章とか、写真とか、あるいは友だちと語り合うこととかで、「未来へ」何かをのこしていこうとするのだと、想う。

彼は、今どこで何をしているのだろう、同じ日本の空の下、同じ秋を迎えたり、同じ月を眺めたりしているのだろうかと、時折想い出したり、する。

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