離婚したけど、また旅に出ようと思う
あぁやっと、いろんなことにやる気がまた、出てきた。
大丈夫よ、大丈夫よと笑っても、やっぱり全然だいじょうぶじゃない。ひとりは寂しいし、どうやっても裏切りは悲しいし、決まっているはずと思っていた将来がすっぽりとすべて居なくなってしまうのは、何ともいえないやりきれなさがある。
荷物をまとめて、新潟の実家へ。新潟の実家から、少しの荷物を持って、東京へ。
今月末には、もう少し大きめの荷物を持って、オーストラリアへ、もう一度旅へ。
やっと出られそう。やっと、次へ。
7月の下旬に日本に帰ってきて、本当は8月にすぐに、また旅に出るつもりだった。けれどお別れの話が出たから、きっとパスポートが変わるから、名前が、住所が、何もかもが。もう一度また変わるはずだからと、話し合いをして、引っ越しをして、合間に仕事をして、取材をして本を書いて
夏が秋になって、秋が冬の気配を少しずつ含んでゆくのをじっと見ていた。
締め切りがあってよかったと、この時ほど思ったことはなかった。仕事がこの件に影響したのは間違いがないし、仕事に追われて辛くなったこともたくさんあるし、けれど私は今の仕事と働き方が、きらいじゃない。
離婚をすると決めたのはもう8月の上旬ではあったけれど、私だけが決めても相手も家族も(現実的なお金問題も)あることだし、何より気持ちの整理がつかなすぎたから、じっとじっと、泣いたり笑ったりして、季節が過ぎていくのを見ていた。手を、動かしていた。
届けを出してから、そろそろ1ヶ月が経つ。名義変更には時間もお金もかかる。パスポートは、昨日、やっと本籍地に変えた新潟で手に入れた。
名前が変わってパスポートが変わると、旅券番号が変わるんだって。やっとの思いで記憶したのに、あの番号とアルファベットの並びは、どこへ風化させればいいのかな
オーストラリア行きの旅券を調べる。そろそろ日本は寒くなる。ひとりでこの冬を越せる気がしない。逃げるように海外に行くことだけは避けたいと、パスポートの問題のほかに、日本にずるずると居たことはたしかだ。
拠点は一度、新潟へ移した。
でも、最近一時的な東京のホテル暮らしを始めて、目の前に赤坂サカスが見えて、日枝神社があって、「ここは東京だ」「これはもう本格的なノマド生活だなぁ」「もしやこれって新潟⇔東京の二拠点居住の序章的なあれじゃ」と思った時、ちょうど日が射して、風が気持ちが良くて、そしてまたどこへでも行けそうな気がしたのだ。
人生を、誰かに委ねる生き方はいやだ。誰かと寄り添って生きていきたいけれど、選択を何かのせいにする生き方は、したくない。
あなたのせいで
あの事情のせいで
そんな人生に、何があるんだろう。
あなたがいるから
あの出来事があったから
と楽しく笑って生きていけたら。
自由は苦しくて、何かの制約があったり愚痴を言えたりするほうが行動はしやすくて、私はいつも一緒にいてくれる誰かのことを求めていたりするのだけれど
けれど今回のことも、理由が何であれ、私は自分で決めたのだ。未練はないし、後悔もない。反省や号泣はしたけども
強いね、と言われて「そうかな?」と思う。弱いね、と言われても「そうかな」と思う。大丈夫よ、大丈夫よと笑っても、ほんとうは全然だいじょうぶじゃない。
ただでも、次にやりたいことが、むくりと頭をもたげてきたようだし、海外へ行くことに、ときめくことがまたできそうな秋だから、また前に進めそうだと、やっと今日、きちんと思えたの。
次は、何が起こるのかしら。じっとここにいれば、きっと何も起きないのにね。ずっと同じは、なんだか性に合わないの。たとえ何かを失ったとしても。
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ということでプライベートの名前も、仕事上の活動名も伊佐知美に変わりますが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!m(_ _)m♡
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。