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「このまま旅を続けていても、どこへもたどり着けないから」

愛していた、愛していた「旅」と「書くこと」。今も変わらず「愛している」。けれどそれはまた別の顔をもって、いま私の横にそっと立つ。

「どこへ向かいたいの?」。旅に出てから数年経って、私がわたしに、もっとも問うていた一言。

「このまま旅を続けていても、どこへもたどり着けないから」。あの夜ぽつりとこぼした私に、あなたはそっと、「どこかへたどり着きたい、の?」とだけ聞いた。

その返された言葉の響きをとらえて、初めて「そうか、私は、どこかへたどり着きたかったんだ」と自覚する。

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写真を撮る理由を、ずっと考えていたことがある。

「残したくなったら、それの終わりを認めている合図」。生きることは、忘れてゆくこと。その間にそれでも忘れたくない大切なことやもの、ひととの思い出みたいな粒たちを、身の回りに必死でとどめて、私たちは明日へ笑う。

明日へ、進もう、と決めたのは随分と最近のことで、それでも心はずっと前に向かいたいと求めていた。

「日々が、未来へと向かって積み重なっている気がしなくて」と、春の私は電話の向こうのひとに吐露していて、彼女はそれで「じゃあ、あなたは積み重ねていく生き方がしたいのね」と言った。まるで言葉は、流れるように。

他人から見たら、そんなにすぐにわかる、簡単なことだったのに、私は「積み重ねたい」と感じていて。それが前は、旅をしながら仕事ができる私、を目指していた階段の途中で、今はきっと、そうきっと。

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「納得感のある生き方を」と、私は長く唱えていて。

「選べないこと」「選択肢が少ない」と感じること、さらには「お金の問題で、選択肢がないように感じてしまうこと」がとても不自由だなと考えて。ないならないなりに、工夫ができたり、誰かに助けて、とか、どうしたらいいと思う?とか相談できる、人生が、いいなって。いいんじゃないかなって。思ってね。

ここではないどこかへ、を追い続けて、どこかへ行けるだけの力を持った私になりたくて。そして今は、そうきっと、どこへでも行けるのだけれど、「ここにいるね」と笑いたくて。

見つけた、見つけられた。この場所に、どうか、少しでも長くとどまっていられますように。祈り。


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