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夜の国際線ターミナルは、世界にただ一人みたいだった【Tokyo→Sydney】


22:20羽田空港発、シドニー行き。普段の旅ならLCCを選びがちだけれど、今回は贅沢にも仕事の渡航のため、ANAで飛ぶ。私は知ってる。ANAのフライトは、チェックインカウンターも、搭乗口も、すべてが入り口の近くにある。

「余裕を持って少し早めに」と空港に到着しても、カウンターや搭乗口を探してキョロキョロとする前に、ANAの世界への入り口は目の前に現れる。


今日、羽田空港の出国手続きを終えた先の、「これより先は出発者以外入れません」というエリアの、その空間は。数少ない海外への旅行者の、足跡がカツン、カツン、と遠くまで響き渡るくらい、落ち着いて、静かで、そして静謐とも言えるそれだった。


いつもいつも、空港の喧騒が好きだった。日本の空港であっても、そこにはたくさんの言語が飛び交い、多くの国籍の人が渡り歩き、そして各々の目的地の海の向こう側の土地へゆく。

交差して、もう二度と出会わないかもしれない、一瞬の邂逅の連鎖が積もる場所。その喧騒の中で、私は無意識に背負い込んでしまっていた、数々の荷物を少しずつ下ろしていく作業をしていたのだと今ならわかる。


2年ぶりに、ふわり、遠くへ。

今座っている搭乗口(そして本当に、周囲に人の気配がないのだ。パンデミックの影響の欠航に加えて、ただ夜便だから、という理由だと思うのだけれど、なんだか浮世離れしている空間に思えるの)は、なんだか瞑想部屋のようだった。精神、統一。久しぶりの、南の国へ。オーストラリア。かつて赤い土の広い島、愛した。


Tokyo International Airport、と赤い文字が滑走路の向こうで光る。SNSを開くと、もうそこは遠い世界の出来事のようだった。日本での暮らし、といういつだって「どうしてだか逃げたくなってしまった」それ。物理的距離を置くことでしか、精神的に静かになれない。生きづらい大人が出来上がってしまったものだ、と、半ば諦めと祝福を込めて振り返る。


行ったら二度と、帰ってきたくなかった。もういっそこのまま行けるところまで、と本気で願っていたこともある。けれど、今から数千キロ離れた南半球の夏の国に行くことを、実施しながら思うのだ。私は、きちんと、帰ってくるという事実。

この2年で私が手に入れたものは、平穏に暮らしたいと願う私を見つけて、認めてあげられたこと。そして、それをやさしく包み込んでくれる家と彼と猫たちだった。

帰ってくるまで、たくさん遊んでこよう。見知らぬ道を、まだ見ぬ角を、気分に任せて歩く気分は、果たして一体どんなものだったかしら。フライトまで、あとちょうど1時間。行ってきます、と日本にまた言える日が来るなんて。

旅のことは、まだ変わらず愛しているし、人生で手放すことはないと知っている。そういう私で、また今日から旅が始められることを、なんだか心底、晴れやかに静かに、嬉しく、しあわせに思ってる。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。