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旅の美しさを知っている。並行して、日々の美しさも手に入れられたら【スペイン→日本】

駆け抜けた旅だった、と振り返ることもできずに今思う。帰りの乗り継ぎ便の、トルコ・イスタンブール。メイクを落として、コンタクトを外して、東京・羽田までの搭乗口が決定するまで、まだ1時間20分の時間がある。

広い新イスタンブールの国際空港。人生ですでに6度目くらいな気がしている。とても広い空港内は、預け入れ手荷物がすでに手を離れているとはいえ、バックパックにたくさん機材が詰まった「NO.1大事荷物たち」を持っている今、散策のために歩き回れるわけもなく(くたびれた体には重すぎるから)。

そもそもスペイン時間で今はすでに22時を超えている。連日慌ただしく動き回って、途中お決まりの体調不良など挟んだ身としては、「ちょっと座るか」の選択肢しかなかった。

目まぐるしく、刺激に満ち溢れ、偶然の出会いも必然の出会いも、ひっきりなしに訪れた、充実した10日間だった。

たった十日間、されど十日間。朝焼けが見られるほど早く起きて、二度寝する隙もないほど「やりたいこと」「やるべきこと」に囲まれた1日は、あっという間に光溢れる日中から夕暮れに変わり、バルと旧市街が喧騒で包まれる楽しい夜の時間になる。

国境を超えた人々と乾杯して、タパスとピンチョスをつまんでパエリアを食べたら、浮かれてしまって睡眠時間を削ってまで街をもっと見たくなる。取材に、撮影に、旅の間とはいえ日常通り進めねばならぬ手持ちの仕事に、観光に、会話に、食事に、散策に。必死で全部の瞬間を生きる日々の、なんと輝く、豊かなことよ(そして私はその後体調を崩すのだ)。

スペイン。本当に、世界の中で、好きな国。何がそんなに好きなの、と問われたら、ちょっと「帰ってきた気がするの」としか、言いようがないかもしれない。「もう少し長く居たいと感じるの」と言うこともできるかな。穏やかで、スペイン語が飛び交い、色彩と太陽の光にあふれ、そしてやっぱり私は、サグラダファミリアの建設が進むバルセロナを眺めていたい。

恋焦がれて身を削るような、若かりし頃の恋みたいな「好き」じゃなくて。「あなたと居る『私』が好きなの」とまっすぐ瞳を見つめて照れつつも胸を張って述べられるような、「愛」に近そうなスペインへの憧れ。肩の力を抜いて生きられる、自然体という意味においては、どこか沖縄に近しい空気も感じたりして。

旅の数日、スペインで合流した作家の友人は、もしかしたら前世はこのあたりでイスラム紋様に携わる職人をしていたかもしれない、と考えたりするらしい(占いがそう言ったと)。そこまでスピリチュアルなことに没頭しすぎるタチではないけど、わかるような気もしている。私もそういうふうに、魂のどこかに刻まれた縁みたいなものが、スペインに通じていたらいいなと思いながら毎日街を歩いていた。

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撮って、撮って、撮って、撮って。毎日カメラを片手に、スペインを歩いた。そうか、もう帰らなければならないのか。けれどそろそろ、帰ってもいいなと思う。前の私なら考えられなかった。「空港まで、迎えにいくよ」と彼が言う。「にゃあ」と愛しすぎる二匹の猫が画面の向こうで鳴いている。

帰ろう、と思ったりもする。誰かが暮らす日常が流れる街を、旅したり、通り過ぎたり、時折少し長くステイしたり、彼と私たちが暮らす街に帰ったり。言い方がわからないのだけれど、はじめて「家族」を「つくった」気がする。旅の美しさも、知っている。それと並行して、日々の美しさも、手に入れたい。欲張りかしら、欲張りよね。人生を捧げるに値する、しごと、みたいなものも、朧げながら形を帯びてきた気がしていて。36歳。いいわね、歳を重ねるって。

たくさん大変なこともあるけれど、まだ多分わたしは、人生の前半を生きている。後半に差し掛かる、と自分で思うその日まで、まだ「在りたい形」を得るために、もがいて、楽しみながら努力も重ねたい。

旅に出ると、自分のヴェールや殻が、1枚ずつはがれてゆくみたい。コアが、残る。芯が、浮かび上がってくる。そうそう、旅って、やっぱりいい。長い距離を移動することは、私の可能性や思考を揺さぶって、そしてやっぱり最後に大切なものをまんなかに残していってくれる、儀式みたいなものだと思う。

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