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春の日差し窓からふわり、午後も頑張ろうねと、noteを書く【東京・三軒茶屋】

朝、ちょっぴりだけれど、私の部屋には日差しが入る。ちょうど枕を置いているあたりの場所に、窓から太陽の光が入る時、私は「あぁ、朝が来たんだなぁ」って最近毎日思ってる。

窓を20センチくらい、少し開けて。隣の部屋も開けて、私の部屋は2階だから、階段のところへ行って、そこの窓も少し開く。ついでにキッチンも開けよう。

春になったばかりの、あたたかすぎもせず、涼しすぎもしない、4月の今、特有の風がふわり家をめぐる。隣の部屋で暮らすはずの、のちちゃんはどうしてだか3月から今日この日まで、ずっと、私の隣の部屋どころか日本にいない。ネパールに行ったり、インドに寄ったり、ベトナムにお出かけしてみたり、地図で見れば東南アジアを、点々、てんてんと歩いている彼女。

時折、彼女から海外で買ったかわいい雑貨だ、とおみやげのダンボールが届く。ネパールのそれには、少し驚かされた。「eight bitter」と書かれた、ネパールの香りをたっぷりと閉じ込めた、「まるでのちちゃんが入っているんじゃなかろうか」と思うくらいに大きな荷物。

日本にはない色彩、造形、彼女の軌跡と「好き」が詰まった紙のハコを、私たちは愛おしそうに手に取り、そして匂いが気になったもの(のちちゃん、ということではなく、革製品独特の匂いを取るため、という意味だ、きちんと言っておくと)を、やっぱりあのベランダに干したり、してる。

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心の底から、洗濯物を、干したかったのだ。と告白したら、なんだか変な人みたいに聞こえるだろうか。けれど私は、濡れた洗濯物を両手いっぱいに持って、春の風にさらして、そしてそれが乾く様を。

たとえばほかに、お風呂を沸かして、ちゃぽん、と入って、シャンプーやリンスを詰め替えたりなんかする様に。

憧れていた、というのは言いすぎだけれど、たしかに私は強く、つよく。欲していた。

家賃もないのだ。光熱費なんて、あるわけない。生活必需品、日用品みたいなものを買う機会はなかったし、2年以上キッチンに立つことを日本でさぼった結果、スーパーの野菜がこの数年で激高になっていたことを、最近知った。

大好きな音楽が、まだモノの少ない私の部屋に、少し大きめの音量でこだまする。朝開けた窓からは、三軒茶屋駅に向かう人の足取りや、1階で暮らす、友だちなんだか、半分家族なんだか、気がつけばすぐ旅に出てしまいそうなとらえどころのない、旅人たちの気配が漏れる。

「誰かがいる」ということは、愛しいことだと、私は抱きしめたい気持ちを。この空の下、もう一度取り戻すことができそうだ、と、最近毎日思っている。

待つのは得意じゃない。諦めるほうが早いもの。「ほかに、ある」と思えば選択肢は、それこそ日本中に、世界中に、この海を空を超えて、無限に。

けれど私は何かを選んだから、この部屋にいて、世田谷にいて、東京を、日本を。

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ねぇねえ、誰か、この部屋で一緒に暮らさない?と、どこかで言い出しそうになる。私はきっと、また旅に出るけど、その間暮らしていていいから。もしできることなら、そのまま一緒に旅に出て、そしてまた一緒に、ここに帰ってこようよと。

自分勝手だねぇ、とあなたは笑う。きっと1年の時を経ても、わがままで、いつも笑ってるんだねぇ、と目を細める。そしてまた、どこかで会おうと約束をするのだ。

春の風は、いつも私に、別れをよこす。その悲しみと切なさを忘れさせるように、何も痛みなんてなかったかのように、「春は毎日気持ちがいいね」「新生活だね」って、みんな前を、向くのだ。

強がりが板についたら、ずっとぐっと、遠くまで走れる。その間に、進むことをやめたら、優しさが手に入る。何を言っているの?と思っている?私も、想っているよ。手に入れたいのは、ただひとり、だけなのに、ね。

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春の風に吹かれたら きっとまた 新しい出会いが
桜の花びらと ひきかえに
ふわり手のひらに 乗っている かもしれない

見過ごさないで できることなら その笑顔を

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今日は、おしまい。午後もがんばろうね。はー、なんかいっぱい書いた!笑

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。