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もっちゃんとさっちゃんと「友だち」

世の中に一人だけ、私のことを「もっちゃん」と呼ぶ友だちがいる、と昔どこかのnoteで書いた。ともみだから、もっちゃん。安易なのか、ひねっているのか、最早分からない。

正確にいうと、私が、いや私たちがまだ新潟県長岡市で高校生をしている時に、彼女が私の幼なじみのママが経営するエステサロンにフェイスパックだか何かをしに行った時に、ママが私の高校の同級生だということに気がついて、「もっちゃんと呼んでいること」を彼女にバラした、という経緯がある。

そのママの家には"ともや"、という名前の男の子がいて、私とともやは年齢があまり変わらなくて、しかもしょっちゅう一緒に居たものだから、「ともちゃん」と呼ぶとどちらも振り返って、なんだか親たちがめんどくさくなったから、「ともみはもっちゃんということで」と大人たちの中で同盟が組まれたという、なんだかそんな話だったような気がする。

至極どうでもいい話だ。今日は、どうでもいい話をたらたらとしたい気分なのだ。

もっちゃん、と呼ぶ友だちを、仮にさっちゃん、と呼ぶことにしてみる。さっちゃんと私は、高校で出会ったから、よくよく考えみると、出会いは15歳。私たち、正確には私は7月生まれ、彼女は2月生まれだから私の方が先に30歳を迎えたわけだけれど、じゃあまぁ大体人生の半分以上を、お互いに知っていることになる。

けれど私は、彼女が大人になってからの毎日を知らない。どこで、誰と、いつ、何を食べて、何に泣いて、何に笑ったかを知らない。

私が彼女について思い出せるのは、高校の通学の前後にいつも私の太ももを触って、「もっちゃん、さらさら」とか、帰り道の電車で二の腕を掴んで「もっちゃん、少し太った?」とか、「私、もっちゃんのこと毎日見てるから、ちょっと太っただけで、分かるようになっちゃった」とか、まぁもう、何というべきか、こうやって活字にしてしまうと「ちょっとやべぇな」みたいな感じの、そう、不思議な女の子だった。


私は、さっちゃんが好きだった。そして、今もやっぱり好きだ、と彼女と丸の内でランチをとりながら思った。

何か悲しいことや迷うことがあったとき、女友だちというのは絶大な効力を発揮する。嬉しい時は言わずもがなだけれど、何か困ったことがあったときの、彼女たちの笑い方は、誰かを救う。少なくとも、私は。

「ともちゃんだから仕方ないよね」(※丸の内には、さっちゃん以外の友人もいた)と彼女たちは言う。私はそれを笑い飛ばす。

最近もそれをどこかで聞いた気がした。「伊佐さんだから仕方ないよね」。

なんだ、それは、と私は思う。言ってくれた人たちに、じゃなくて、自分に。「あなただから仕方ないよね」と言わしめるほどに、私はそうか、自分勝手な道を歩いてきたのか。

と彼女たちに伝えたら、「え、別に……なんか、それがなくなったらもっちゃんじゃないじゃん?」と言って、ハンバーガーを一口頬張る。何事もなかったように、次の話題に。

ねぇ、私、たぶん15歳からずっとこんな感じだったんだよね? 人生の半分を、笑いながらずっと聞いてくれていたあなたたちがそう言うなら。


私あんまり、女友だち、という存在が得意じゃない。一緒にトイレに行こう、みたいな「いつもいっしょ」があまりできない。すごく苦しいの、と言って泣ける人は、そんなにいない、と思っていた。

結構思い違いだったんだな、とこの数週間で思っていた。私は彼女たちにとても支えてもらっていたし、思っていたより心配をかけて生きていた。ってなんか美しい話にしてはいけない気もするのだけれど、とりあえずこの日はさっちゃんに会えてよかったな、と思った。


大人になってからの友だちは、とても楽しい。大人になってから、何もしなければ「友だち」は減っていく。友だちは増やせるし減らすこともできるけれど、「学生時代の友だち」だけは、やっぱりどうしても一定数で、何もしなければ減っていく、のが現実だと思う。

だからこそやっぱり、色々な人がいる中で、私にとって「青春時代と呼ばれるものを一緒に過ごした人たち」は特別なのだ。そして、その中で恋愛ができる人を羨ましいと思う。

さっちゃん、幸せになってね、といつものように思う。「幸せになってね」と思える人が世の中に生きているというのは、いいものだなと、おばあちゃんみたいな気持ちで彼女を見送った、東京の丸の内。


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