気づいたら、本ともラジオとも対話してる・・・
もう宣言なんてしない、なんていわないよ、ぜったい。
いや、もうnote毎日更新するなんていわないよ、ぜったい。
いやいや、それすら宣言になってしまっているよ・・・
どうやら本当に、自己矛盾だらけである、のです。
先日の満月の日、勤めている産院では、お産がとっても多かったです。1つだけならまだしも、2つの産院のお産が集中していました。お部屋は溢れていて、満月すごいなあ、と思いました。気圧とかも関係あるのかな。もはやこれって本当に、数字では語れない範囲のことなんだと思う。でも、確実に、実際に起こること。そんなことって世の中にたくさんあるなあと思います。
先日、あるラジオを聞いていたら、お話し手の方が「女は子宮で考える」といっていました。わたしはこれ、全然ピンとこなかったです。子宮で考えるってどういう感じなんだろうか、、、? わたしは、頭で考えることもすきだけれど、自分の直感というか、ひらめきみたいなものも、頼りになるなあと思っているから、それが、この方のいう「子宮で考える」ってことなのだろうかね、、、? それってどういう身体感覚があるのか、聞いてみたいなあと思いました。もし、「わかる〜!」という方おられましたら、ぜひ教えていただきたいです。
ほかのラジオでは、自己肯定感は体調に影響される、というようなことを話されていました。これは、半分、納得したかな。体調がいいときは、自己肯定感が高くて、不調なときは、それが低くなるから、ちょっとした誰かの発言とかが気になってしまう、という感じだったかな。はて、自己肯定感とは?というところから問うてしまう、わたしの脳。自己肯定感って、そんなに流動的なものですっけ? たしかに、体調によって、人の目や発言に対していつもより敏感になることもあるけれど、それと自己肯定感は結びつかないような気がしたのです。わたしにとってのそれは、生涯かけて上げられるだけ上げていきたいものであります。それは、生まれつきのものと、幼少期にある程度つくられたものと、大人になって積み上げられるものと、いくつかに分けられる気もするなあ。これは、わたしの意見ですが。そして、いうまでもなく、体調はできるだけ細かく感じとり、できるだけ元気でいたいなと思います。
このように、ふだん、あたりまえのように使っている言葉も、人によって、全然捉え方が違ったり、使い方が違ったり、異なる意味合いをもたせて用いたりしているのだなと思うと、ものすごく危ういコミュニケーションが成立しているなと思う。でも危うくてもむしろ感覚的のほうがよかったりもするし、しっかりと言葉を尽くして、話し合わなきゃいけなかったりもするときもある。ちゃんと、相手の人の視点でものごとをみてみる、ということも必要なときもあるかな。
オープンダイアローグがまさにそうで、わたしとTAKAHIROさんは、ご参加者の方の視点で、事象を見るようにしている(できていないことも、たくさんある)し、その方にとっての「自己肯定感」「仕事」「愛」「心地よい」・・・が、どんなことなのか?どんな定義でその言葉を使われているのか?を、細かくうかがったりしています。そうしないと、自分たちの主観で同じ言葉を捉えたとき、実はまったく異なることをイメージしていることが常だからです。「山」といったら、小山を思い浮かべる人もいれば、山脈をイメージする人もいるし、物がたくさん積まれている状態が浮かぶ人がいるかもしれないし、まったくわからないのであります。
そのギャップが大切でもあるし、そのギャップのままでは、どんどん食い違ってしまうこともあるし、人とコミュニケーションすることって、本当にむずかしいんだなと思います。
ここは怠けちゃいけないとこ。