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「トットひとり」(黒柳徹子著)の感想。(少しポンと背中を押されたような気持ちになった)、そして、「七夕(チルソク)」、わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪。

黒柳徹子さんの本です。

本の表紙写真は、びっくりしました。篠山紀信さんの写真といえば・・。わかるでしょ?

本の内容は、黒柳徹子さんと交友があった、「同じ匂いのする人たち」の回想録。

そして、もちろん、悲しい別れ。


「私の遅れてきた青春について」(p9)

最初は、ザ・ベストテンの誕生、それに関わった方々のお話。寮母のおばちゃん化する話。へえが5ぐらいついて、思わず動画をチェックしてしまいました。


心に残ったのは、向田邦子さんのこと。


「霞町マンションBの二」(P45)
「禍福は、あざなえる縄の如し」という言葉。

向田邦子さんが「直木賞」受賞、そしてパーティ。

「・・私は欲がなくて、ぼんやりしておりまして、節目節目で、思いがけない方にめぐり逢って、その方が、私の中に眠っている、ある種のものを引き出して下さったり、肩を叩いて下さらなかったら、いま頃は、ぼんやり猫を抱いて・・
ほかにとりえはありませんけど、人運だけは、よかったと本当に感じています。
それと、今日は十月十三日ですが、この日は、・・五年前の今頃、私は手術(乳ガン)で酸素テントの中におりました。・・・でも、沢山の人のあと押しで、賞も頂き、五年ぶりに、今『大丈夫!』と御報告できるように思えます。・・・」

(その時、黒柳さんは、向田さんの「あざなえる縄」の話を思い出しているのでした。)

「今日は一生に一度の光栄だと思ってます。」

この日から一年も経たないうちに、向田さんは、家族や友達やファンや猫を残して、消えてしまった。


「人生は、いいことがあると、必ず、そのすぐ後に、よくないことがあって、つまり、幸福の縄と不幸の縄と二本で、撚ってあること・・」・・この言葉を私に教えてくれたのは向田さんだった。(向田さんが書いたラジオ番組で、この言葉が、黒柳さんのセリフの中にあったそうだ。)

トットひとり


何か、この言葉を読んで、自分自身も、還暦すぎで、「自分自身は、自分について回るのは、悪運のみ」。夫と、結婚してから、夫は、山人なので、そのメリハリがわかるのです。この遠征は、「成功したか」「否か」ってこと。「生」と「死」、ロシアンルーレットと、言ってましたが、禍福というものは、何か規則性があると今になって思うのです。

ーー

向田邦子原作「向田邦子新春ドラマスペシャル」は、私の大好きな番組でした。「あの頃の東京の空は、今よりも、ずっと青かった」・・昭和の青空、昭和の色、匂い、感触、音・・何か寂しげなものがいつも心に残った。テーマ音楽、小林亜星さんの「過ぎ去りし日々」は名曲です。(私の偏耳かもしれませんが、ちょっと、出だしの音を変えるとランゲのある曲に似ていることに気がついた。)あのメロディを聴くだけでも、ジーンとしてしまいます。そのナレーションが黒柳さんだったとは、この本を読んで初めて知りました。

「ねえ、一回どう?」(P86)

森繁久弥さんの八十八歳の最後の暗唱は、身に染みました。

徹子の部屋へ、ご出演なさった時の話です。

・・・

「いま思い出したんだけど、荻原朔太郎の詩を少しやっていいですか」

利根川のほとり

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらえて
今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

(圧巻だったろうなあと。)


私が、実家で爆発して、たまには、違った経路で、帰ろうと、やぶれかぶれになって河原に入る。あの時の思いかなあ。そんな思いが何度もあるが、それでも生きている。

「幕が上がる時」(P287)

最後は、ワーズワースの詩が文中に。

「草原の輝き 花の栄光
再びそれは還ずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を
見出すべし」

Intimations of Immortality from 幼少期の回想から受ける霊魂不滅の啓示
Recollections of Early Childhood
The Child is father of the Man:   子どもこそおとなの父、
And I could wish my days to be. 願わくば一日一日が、生来の
Bound each to each by natural piety. 自然への敬虔な心で結ばれるように。

ーー
  Ⅹ
Then sing, ye Birds, sing, sing joyous song!
              And let the young Lambs bound
              As to the tabor's sound!
We in thought will join your throng,
             Ye that pipe and ye that play,
             Ye that through your hearts to-day
            Feel the gladness of the May!
What though the radiance which was once so bright
Be now for ever taken from my sight,
           Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
           We will grieve not, rather find
           Strength in what remains behind;

           In the primal sympathy
           Which having been must ever be;
           In the soothing thoughts that spring
           Out of human suffering;
          In the faith that looks through death,
In years that bring the philosophic mind.

さあ、歌え、鳥たちよ、高らかに歌え、歓びの歌を。
  幼い子羊は跳び跳ねるがよい、
  まるで小太鼓の音に合わせたように。
私たちは心のなかで君たちの群れに加わろう、
  笛を吹き戯れる君たち、
  きょうの日、心から
  五月の喜びを感じる君たち。
どうしたというのだ、かつてあんなにも煌めいた輝きが
いまやわたしの視界から永久に消し去られたからといって。
  何物も昔を呼び戻せはしない、
草に見た輝きと、花に見た栄光とを。
  だが悲しむことはやめ、見つけるのだ、
  残されたもののなかに、力を。

  原初の共感の中に見つけるのだ、
  かつて存在した共感は永久にあり続けねばならぬ。
  見つけるのだ、迸り出る慰めの心に、
  人の苦しみのなかから迸り出る慰めの心に。
  死を見つめる敬虔な心と、
悟りの心をもたらす成熟の中に。

 


対訳「ワーズワス詩集」イギリス詩人選(3)山内久明編(p 123,124)岩波文庫


黒柳さんと同じ匂いのする仲間たちがいて、悲しい別れという形であっても。

「人生とは」を書いてあるような気がする。少し、背中をポンと押されたような気持ちになりました。


「私の母さん、私の兄ちゃん」(P116)

黒柳さんにとっての「母さん」は、沢村貞子さん。「兄ちゃん」は、渥美清さんのこと。

特に、渥美清さんの印象は、前々から少し知ってましたが、ものすごくストイックな方だったようです。

黒柳さんに対しては、「お嬢さん」と呼ぶ。それに、「なんか、買ってやるよ」と。粋だなあと思った。何歳になっても「なんか、買ってやるよ」という人がいたら、素敵だなあとも。

「同じ事をやっているようでも、健康じゃないと、お客さまは敏感にそれがわかって、笑わないんだ。これほど、悲惨なことはない、と思ったねえ」
・・・
 私は、兄ちゃんが最後まで病気のことを秘密にし、ありったけの力を寅さんに注ぎ、ロケ先で、ファンの人たちが「寅ちゃーん!」と叫んでも、何も反応しないで車に乗り込んでいた・・・

役者魂を感じた。これだけはやってはいけない喜劇役者の暗黙のルールというもの。舞台に立つ人、クリエイターの皆さんも、同じだと思います。

「私たちは、同情を得ることができないのです」と、ウルフの言葉を噛み締めた。

    ##


七月七日 七夕(チルソク)

思いもかけない山人が、前夜は、イノキの携帯に電話かけてよこして、イノキ、迷惑そうで、「あんた、電話ぐらい出てあげなさい!!」って。

イノキは、それどころか、彼に、自分の山歩きのことまで話して、彼、「○○ガイド事務所をしておりまして、なんとか山など昨今行きましてねえ・・」とか、しっかり山のレクチャーセールストークしているのではないか。


チルソクの夏日、電話にでた。

彼、夕方、現れる。せっせと、その前にお掃除。


お悩み相談、子育ての話などしてました。

自分が、大人子供のところがあるんで、彼の5歳の娘っ子が、やたら恐竜に興味あるとか。

「私もやった。恐竜図鑑、ウルトラシリーズの怪獣図鑑を本が壊れるほど、見ていたわ・・」


彼のお悩みを聞いていたら、なんて答えていいのやら、思い切って、グリーフワークをしたことを話した。なんでも、書き出すと、いいよとかで、こんだけ書いたわと、10冊ぐらいそのノート束をを見せたら・・・。沈黙。

最後、「うちの姉貴は、電話でも話された通りかなり前向きなの。金曜日は、切り絵、土曜日は、水彩画、で、時には、88の婆さんをほっといて、山歩きに出かけとるん、で、それでもなお足りず、体幹を鍛えらないかん、とかで、時間があれば、ジムに通っている、そういう女なの」。また、沈黙。

「でまあ、イノシシみたいやな、猪突猛進って、いうやんか。で、「あねき」でしょ、「イノシシ」と組み合わせて、「イノキ」って、内緒で、呼んでおるわ。」

彼、爆笑。

猪木コール覚えとる?」

「(頭の中は、ちゃ〜んチャチャ〜ん♬)」

彼、「猪木、(手拍子)、猪木(手拍子)、猪木(手拍子)・・」私も、揃って。

それで、彼、段々と笑顔になって、その調子で送り出した。「僕、そういうのが欲しかったんだ・・」と。


けどまあ、彼が去って、後々考えてみると、奥さんのせいでもなく、彼自身にも問題があるようで、まあ、奥さんは、その彼の行動を見ての「写し鏡」だと思えばいいのであったと。とどのところ、彼自身が変わらなければ、奥さん、周りも変わらないってこと。(イノキの教え。)

そして自分の時の、失敗談をふと考えた。男ってものは、いつも自分が正義で、不安な時は、いつも自分の仲間に自分の正当性を求める。もしかして、また、その繰り返し?いかん、いかん、負の連鎖は断ち切らないと。奥様は、女性で、おらの仲間だ、敵は、「男」だ!!

そしたら、「トットひとり」のワーズワースの詩が気になって、ああそう言えば、積読の中に、ワーズワース の詩集があったなあと、開いて読んでみた。


あらら、あの「トットひとり」の出どころの文句は、ほんの一部に過ぎなかった。


神の暗示か。「よく調べろ!!」って。


「子どもこそおとなの父」。これだったのだ。


「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪・・」
(虹とスニーカーの頃、財津和夫作詞)

急に、そんな歌詞が浮かんだ。


(了)














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