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「逃げる心理」の探求と、乳がんとの対等

これも書いてみたいなぁと思っていた事柄です。

ずっと、まさか自分ががんになるとは思っていませんでした。みんなきっとそんな感じなのだと思います。検査を重ね、実際に医師から宣言を受けた時、段階を経て事実と真正面から向き合うことができたのです。そこで気づいたのは、自らの「逃げる心理」でした。

期間的なことをまとめると、2022年10月中旬、自治体のがん検診を受けました。結果は要精密検査。年が明け、2023年1月中旬にその精密検査を受けました。マンモグラフィーから始まり、MRI、組織診と3連日の検査となりました。前者の、がん検診から精密検査までが3ヶ月間。後者の、組織診を終え、がん宣告を受けるまでが1週間でした。

前者の3ヶ月間は、もやもやと心の奥で心配をしながらも、積極的にがんについては知ろうとしませんでした。それが悪性だと信じたくない気持ちが強かったのだと思います。これよりさらに前、しこりに気づいた時からそうでした。

がんの情報は、ニュースなどで常に取り上げられています。しかし、それが目の前に来た時には、触れないという方法で逃げていました。(今だから言葉にできますが、当時はこれを無意識でやっていたりもする)

過去には、罹患経験者と直接出会うこともありました。その時に、身体を案じたり、回復を願うのは言うまでもないことですが、同時に、これが知識への扉であることにも関わらず、調べたり、向き合うことを避けていました。

がんの情報に触れない、関わらない、積極的に話題にしないことで、がんにならずに済むのではないかと、おまじないのように、どこか素朴に考えていたのだと思います。

そして、訪れた後者の1週間です。組織診の結果を聞く日に家族を連れてきても良いと言われても、まだ半信半疑でした。しかし、状況からほぼ確定に近い。得意の逃避心理テクニックは、意味を成さなくなりました。

この状態まできて、ようやく乳がんについて調べ始めました。それと同じくらい時間をかけて、自らの命を思い、がんとどのように向き合うかを思索しました。結果的には、リサーチが不届な事柄も多く、(当然ですが)実際に体験して知ることの方が多かったのですが。

これが私の、がんと対等するための、そして、逃げる心に気づくきっかけでした。

それなりに経験や年齢を重ねていますし、ずっと逃げずに自分と向き合ってきたと考えてきました。しかし、全くそうではなかったのです。

こうした自分を守るための心理的手法は、次第に慣習となっていきます。また、正しく知識を得ないことで、自分の中に差別や偏見も生まれます。また、避けるという行為自体が、偏見があるという証拠を表していたりもします。無意識的な差別心は、こうした何気ない思考の慣習から、無意識のままに育ちます。

私自身、小学生の頃の転校を機に差別やいじめを受けており、舞台芸術と関わる以前の、自発的な研究課題となっています。それは形を変えて、大人になっても体験できます。また、向き合わず、逃げること、避けることで責任から逃れようとする人にも出会っています。

私自身の逃げる心理の気づきで、こうした人たちの心理変容を追体験できたように思いました。そして、がん罹患者となり、病と同時に逃げる心と対峙できたこと、そして、差別で自分を守る必要がなくなったことで、前後を比較した考察が可能となりました。これは大変興味深い経験でした。

自らの心と向き合った結果としては、まず、知識を得たことで、治療に対しての偏見(偏った見方)がなくなり、それぞれの治療を受け入れ、そこに波が生じたとしても、落ち着いて向き合えるようになりました。そして、この心理に準じ、がんという病気と人への偏見や差別もなくなりました。この健やかな心理は、きっと自分のがん治療にも良く働いてくれるのではと思います。

ただし、がんも治療も千差万別で、自らの経験を以ても、他者のがんの状態・治療・心理が分かる状態にあるとは思えません。しかし、想像への小さな手がかりは持っているのではと考えています。

また、罹患経験がない人が得ようとするがんの情報は、自分ががんにならない為であることがほとんどではないかと思います。それはとても大切なことですが、これでは情報が偏っていると思いました。

がんになったことを公表するかどうかは、本人次第です。知らせずに過ごされる方もたくさんおられるのではないかと想像します。多く社会に存在する罹患者との健全な共存を、どのように探って行っていくかも大切なのではと思います。

過去に、変わってしまう胸の形や、副作用によるアピアランスについて考察しました。いずれもなりたくてなるのではありません。自身の美的感覚から悩まれる人もおられるとも思いますが、こうした悩みの多くは、人の目を気にする、つまり差別的な目で見られるのを気にするからではないでしょうか。悩む本人には全く問題はなく、その目は知識を持たないがんの経験がない人が起こしているものです。

がんという枠で人を囲ってしまうと楽ですが、これを壊していかないと、がん治療は進化するのに、人間の心は変わらないというギャップが起きてきます。他者に向けてきた偏見が、当事者となった時、自分に返ってくるという悪循環が起こります。

それぞれ実際にがんなってみれば分かることです。しかし、なかなかそうも行きません。こうした事柄は、当事者それぞれが本心を共有すること、事実に触れた人は逃げずに向き合うことが、改善への手がかりになるのではと思います。

がんにかからないための情報だけでなく、この枠をなくすための情報発信がもっと必要なのだと思います。同時に、ひとりひとりが、自らの保守的な心理と向き合い、本心を発しやすい環境を作っていくことも大切だと思います。


次号は、乳がんにかかったことを公表しようと思った理由です


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