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乳がんのことを人に伝えようと思った理由

乳がんも含め、がんにかかったことを公表するかは、他の病気の場合と同様に、その人次第だと思います。私はいくつかの段階を経て、周囲に伝える事にしました。

当初、検査後〜宣告の間に連絡をくれた友人に、検査結果、つまりがんであることを話した際は、他の人には話さないでおいて欲しいとお願いしました。その時はまだ自分でも、どのように扱うべきか指針を出せていなかったからです。

最初に話したのは、以前にも書いたとおり手術前の出張先でした。親身になり聞いてくださった人たちの中でも、女性たちの反応が印象的でした。話す事が人の役に立つと感じさせてくれました。

続けて、近い友人や仕事先に伝え、その次に、友人に限定して公開できるSNSにて、がん罹患と手術の予定を公表しました。女性へは自分の身体に対してより深い着眼が生まれますし、男性へは顔を知る人間が自分自身の病状を説明することで、乳がんへの理解が深まるのではと思ったからです。

(その結果、男性がご自身の経験や、配偶者が当事者やサバイバーであると励ましをくださるのが意外でした。小さな言葉での報告ですが、それらは私の気持ちを軽くさせてくれました。事実がもたらす力だと思いました。知らせてくださった方々に感謝しています。)

他には、間接的な形ではありますが、この事実を通し、長らく行ってきた舞台衣装家という仕事が引き起こす、身体への過剰な負担についても考えて貰えたらと思いました。私は、デザイン・型紙作成・縫製をトータルで行ってきました。この仕事は一旦企画に関われば数ヶ月間、24時間付きっきりとなり、他の仕事はできず、また、制作期間は自らの意思ではコントロールできず、変わらぬ期限の為には、自分を削るしかありません。収入・食事・精神・身体etc…衣装に携わる期間以外の生活の時間や質へと、さまざまに関わって行きます。

多くの方は、このデフォルトの状態を知らないようで、片手間でできると感じているようです。年間において携わる期間は短くとも、長期的な見方をすれば、この仕事と乳がんの因果関係は0とは言えないと思います。この身体の真実が語ることは多いと感じますし、また、これから舞台芸術の世界へ進む人たちに引き継がない為に、早期に解決されなければならないと思います。

また、前回も触れましたが、知ることで他者の中に引き起こされる差別や偏見がどのようなものかも知りたいと思いました。配慮という形での差別が起こらないように願います。しかし、こうした場合においての判断は、日常的に豊かな情報に触れられるからこそ可能なことで、前回の文末で述べた問題点を改めて思います。また、他の当事者の体験も聞いてみたいとも思います。

このnoteは、単に乳がんについて、当事者でもそうでなくとも、読む方の資料集みたいになればと思い記録し始めたものです。同時に、衣装家を私独自の要素として、綴ることができるのではないかと考えました。

前回の記事以降、大学の授業準備のリサーチに興じてしまい、更新まで少し期間が開きましたが、その頭の片隅で、今回の文章をどのように書こうかと考え続けていました。これを思念として過ごすことでの気づきは多く、未だ留まらずに、日々、その理由は変容し続けているという状況です。

また何か思う時には、ここに書き綴ろうと思います。


おまけの写真:ホルモン療法の副作用のホットフラッシュは、出始めの頃よりも和らいできましたが、対策にとハンディファンを買いました。どこでも顔や首元を即効冷やしてくれます。食事後とか、集中したりすると、ほわっと暑くなるようです。それ以外はとても元気に過ごしており、時々、がんのことも、手術のことも忘れている程です。約1ヶ月先では放射線治療が待っています。


次号は、いよいよ始まる放射線治療の事前診察について


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