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食べて、祈って、恋をした#3

如実知自心。お遍路で出会ったことば。
国内外を自転車で放浪してきたQ太郎いわく、四国はとにかく人がとてもいいのだという。お遍路さん文化の影響なのか、他のどこの地域よりもずっと心地よく他人である旅人を受け入れてくれる気がするそうだ。
加えて四国の特に南側、高知のそびえたつ山々や蛇行する美しい河、海の景色はQ太郎の住んでいた海外の自然を彷彿とさせるという。
それもあって今回はQ太郎一押しの四国お遍路の道を歩くことにしたのだが、わたしたちはまさに導かれるが如く、来るべくしてここに来たことを知る。

旅先で知る等身大の自分

朝11時ごろ、フェリーで徳島の港へ着く。最寄の徳島駅までは約5kmの道のり。バスもでているが、足ならしということで歩いて向かうことにする。
途中で腹ごしらえにうどん屋さんによった。すると食事を終えたのを見計らったかのように女将さんが「山登り?」と声をかけてきてくれた。2人して60l超の大きなザックを、しかも11月というのにTシャツ短パンといういで立ちで背負っていたのでお遍路とは思わなかったのだろう。「歩いてお遍路するんです」と答えると、厨房の奥からだんなさんもでてきて、歩いていくの、一番札所から?と目をまるくして驚きながらもあたたかい声援とともに見送ってくれた。

その後、住宅街を歩いていたおばあちゃんも、食料や日用品の買い出しに寄った駅近くの大型スーパーでは店員さんも、それぞれ気さくに声をかけてきて「どこいくの?登山?おへんろさん?まー!」と驚きながらも、笑顔でいってらっしゃいと声をかけてくれた。

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Q太郎は町のひとが声をかけてくれるたびに明るく挨拶をかわす。そしてうれしそうに、得意そうにわたしにいう。
「ね、言ったとおりでしょ。ほんと四国のひとってあたたかいんだよ。このあたたかさを味わってもらいたかったんだ」

こうしたどんな会社に勤めているか、どんな仕事をしているか、そんな社会的バックグラウンドなんか一切関係のない、今目の前にいる「すのじぶん」と向き合ってくれる、そんな旅先でのひととの出会いがわたしをずっと旅に連れ出すひとつの原動力になっている。
旅を存分に楽しむなら自分を過大評価しても過小評価するわけにもいかない。できることをできる範囲で、なおかつ異国の地のエネルギーを借りてちょっとのチャレンジをしてみる。そして少しずつ成長していく。それが等身大の自分を知りながら、成長していける最良の手段だと思っている。

わたしは徳島で出会った方々の分け隔てのないその人なつこさに改めて旅の醍醐味をじわじわと実感した。それと同時に、Q太郎の「四国のよさを分かち合いたい」という気持ちに、よりいっそう嬉しく感じてしまった。

そんなこんなで町のひととの立ち話を繰り返しながら歩いていたら一番札所・霊山寺に着いたら閉門ギリギリの時間となっていた。

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今回の目的は「歩くこと」であり、寺社めぐりは「ついで」という意識で来てしまったので、お遍路のお作法も分かっていない。無論白い衣装も杖もない。なんだか急にお寺さんに申し訳ない気持ちになり、すみっこでこっそり参拝した。

手を合わせて長々と、今回の旅の目的、この旅をどうしたいのか、旅がおわったらどうなっていたいのか、頭のなかで旅の目標をかため、なんだか甲子園球児のように選手宣誓した。結局誓っていた相手は自分だったと思う。そう、やるのは他の誰でもない、このわたしだからだ。

一礼して顔をあげるとQ太郎はまだ手を合わせていた。
Q太郎は普段から感情が顔や態度にでることがなく、悩みやつらい出来事と思われることもあっけらかんと話すので、どれくらい深い悩みを抱えているのか実はあまり理解できていなかった。

けれど、わたしの横で祈り続けるQ太郎をみて、ことばや態度で苦しみを表現できないほうがしんどいよね、と思った。
旅が終わるころにはQ太郎も今抱えている重苦しい悩みから解放されますように。彼の仕事がうまくいきますように。もう一度仏様にお祈りした。

如実知自心 -にょじつちじしん-

わたしのお遍路日記にはこの言葉が走り書きで残っている。一番札所である霊山寺の柱か壁にかかっていた額に記されていたことばだったと記憶している。そのことばともに自分の感想らしきものをメモとして書き残していた。
自分の心の奥にある無限の力を知る
四国をめぐって自分と対峙する
自己発見の助けとなるもの。

如実知自心。「ありのままの己の心を知る」という空海さんのことばだそうだ(※インターネット調べ)。

今まではお遍路に対して病気治癒の願掛けのようなイメージをもっていたが、そうではなかったのだ。お遍路の本質は「己のこころを見つめる」ことだった。己を見失っていたわたしはこの場に来られたこと、誘ってくれたQ太郎に心から感謝した。

わたしの人生このままでいいのか、という40代特有(もしくは人類すべて)の悩みや、価値観のあわない環境で定年まで我慢しつづけるのかという未来への絶望感、違う道を歩みたいけれどどこへ踏み出していいかわからない、というキャリアプランのどん詰まりから突然休職宣言をしてしまったわたし。

そんな自分が自己と対峙する機会をこんなにも早く得られたのはとんでもなくラッキーなことじゃないか。運の強さ、特に旅運はかなり強いと自負というより思い込んでいるが、今回もそう思い込んで前にすすもうと思った。

心拍数をさげるオトコ

お寺でお祈りをすること自体には関心のなかったQ太郎とわたしだが、一番札所に着いてから考えを変えた。
Q太郎も、最初はお参りする気は全然なかったのに、なんだかやたらと落ち着いたと興奮気味に語ってくれた。お祈りって結局自分と話し、自分と対峙することなんだね。歩くことや旅もそういう部分あるよね、と2人で語り合いながらあるき、いよいよはじまったお遍路旅に期待を膨らませていった。広い畑の向こうに沈む夕日がとてもきれいに映り、しばし立ち止まって眺める。

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今夜の寝床は焚き火のできる河原でと考えていたが、この日はキャンプに適した河原にたどりつくことができず、工事現場のそばの空き地にテントを貼ることにした。

Q太郎はテキパキとテントを貼り、食事の準備にとりかかる。家からもってきてくれた調味料をつかってキャンプご飯の定番、カレーをつくってくれた。わたしは特に手伝えることもない。つい、いつものくせで「会話でこの場をもりあげるか」という考えが脳裏をよぎったが、まあそういう営業的行動や思考は今回は一切やらない、というルールを自分に課してしていたので、なにか頼まれるまでは黙ってみていることにした。

だれかとの共同作業や旅行には微妙なパワーバランスがあり、無意識のうちに損得感情が相互に働いていて、わたしはこれやるからあなたこれやって、と指図するひとがでてきたり、やってもらって当然みたいな顔しているひともいたりする。
Q太郎はこの旅の間ずっと、あれやってこれやってとは一切わたしに言わなかった。「全然大変じゃないから」と朝、昼、晩のご飯を全部つくってくれた。何も言わずにその日のルートや寝る場所、食料調達場所などをあらかじめ検索し、そしてわたしの行動に干渉してくることもなかった。さらにスーパーや道の駅でもたもたと買い物をしてても、朝のしたくに時間がかかっても、「急いで」とか「早く」という言葉を使うことがなく、「だって急ぐ旅じゃないから」と、いつもわたしを待ってくれた。

仕事やプライベートでいつも納期や時間に追い回され、常に心拍数の高い状態で生き急いできたわたしにとって、急かされないことがこれほど心をまろやかにし、緊張感をほどいてくれることだったとはQ太郎に会うまではっきりと気づいていなかったのかもしれない。Q太郎といると心拍数がさがるのだ。
時間を縮める行為は心を縮める行為、すなわち命を縮める行為だ。わたしも今までことばや態度でずいぶんまわりの人を急かしてきた。ずいぶんしんどい思いをさせてきたんだろうな、と今にして思う。

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シングルウーマンのピンチ

2日目の夜はおへんろ小屋というお遍路さんのための櫓(やぐら)にあがって寝袋を敷いた。今晩のご飯はわたしのリクエストでうどん。だしの代わりにお茶漬けを使い、道の駅で仕入れたお野菜をたっぷりのせた即席うどんを作ってくれた。

10-15kg近いザックを背負っての1日約20kmのウォーキングは自粛生活でなまっていた体がうめき声をあげるには十分な運動量だった。けれどもそれは肉体的疲労にすぎず精神的疲労は全くなかった。2人で改めて今後について話し、最後まで(今回は二十三番札所の薬王寺まで)一緒に行こうという結論に達した。
そして余計な荷物は少しでも減らしておこうというQ太郎の提案で、わたしは自分の1人用テントを郵便で送り返すことにした。明日からはQ太郎の2人用テントで寝泊まりすることになる。まずい。これはまずいシチュエーションだ。
なにしろわたしは着替えを3日分しか持っていない・・・

※写真はおへんろ道(徳島)

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