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人生の幅を広げるために大学などの卒業資格は必要か?卒業資格で広がる人生の幅ってどんなんやの?


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学校辞めたいけど、辞めてしまっていいのか? 学校辞めると人生の幅が狭まるのか? 卒業資格ってそれほどまでにすごい印籠なのか?

今も昔も若者はそんなことで悩むものなんやな〜。

今の若者世代は、私達団塊ジュニア(1971年(昭和46年)〜1974年(昭和49年)に生まれた世代)のジュニア。

ってことは、団塊ジュニアの思想・常識シャワーを、ふんだんに浴びながら育ったのが「団塊ジュニアのジュニア=今の若者」ってことになる。←当たり前やな!笑

団塊ジュニア世代が若かった頃(1990年代)は、確かに「大卒>高卒>中卒」が当たり前の図式で、同じ職場で同じ仕事内容でも、「大学卒業」って言うだけで、初任給が確実に違う。

高卒で4年間早く就職して、4年の経験がある人材よりも、経験のない新卒=「大学卒業資格保持者」が給与面でアドバンテージ(優位性)を取る。って言う不思議なことが、当たり前やった時代。

「三流大学でも高卒より勝ち組」「大卒は就職に有利」「4年余分に遊べる上に給料まで多くもらえるなら、大学に行かない理由がわからない」って言う歪んだ常識を浸透させてきたんやろな〜。

そんなゆがんだ常識によって、恩恵を受けてきた人々は、当然自分の子供にも、特に深い根拠もなく「大学は行っておいた方が何かとお得〜」みたいな思想を手渡していく!

その思想こそが、相談してきた若者の親や周りの大人が放った、

「卒業資格がどれほどの価値を持つか?どんな威力を発揮するか?」

って言う言葉になってる。


でも私からすると、

「卒業資格を持ってる人は、卒業資格によって受けた恩恵しか知らへんよね?」

って思うのよ。(←ひねくれもんの悪い癖やから、許して〜笑)

「卒業資格がない方の人生」を歩んだことがないのに、なんで言い切れんねん!ってちょっと疑問やわ。


親も教師も大人達も、「自分が歩んできた人生」しか知らんわけやろ? だとしたら「それ以外の人生を歩んだとしたら、何をどう感じるか?」なんてことは、知る由もないし、語ることはできへんはず。

だから、「大学卒業こそに価値があって、人生の幅(可能性の幅)を広げる!」って言う思い込みは、めちゃくちゃ偏ってる。



大学卒業する → 望んでた給料や福利厚生面がしっかりした仕事に就く。あるいは専門職で年収が高い → 人生が安定する → 不動産等を所有することを考える → 安住・定住志向が強くなる → 定年まで勤め上げる → 他の業種・業界や、他の生き方、他の世界を知る必要すらない  


もちろんすべての大卒者がこれ↑に当てはまるなんて思ってへん。こんな人が多くを占めてるとしたら?っていう仮定の話やけど、これって人生の幅を広げてるどころか? 一つの路、一つの生き方以外の可能性を全部潰してしまってる。


それが良いか悪いか?って話とちゃうねん! 

大学卒業がホンマに人生の幅を広げるかのかどうか? 広げるとしたらそれを活かせる人は、ホンマに大学卒業した人だけか?って言う素朴な疑問が湧く〜って話。


ええ成績で、ええ大学行って、教員免許取って、優秀な成績で卒業して、教師しかやったことがない大人が、「しっかり勉強して、ちゃんと学校は卒業した方がええよ?その方がいろんな可能性が広がる」ってアドバイスを子供達にするのも、「自分の人生を否定したくない・されたくない」っていう個人的な想念が色濃く反映されてる。


「いやいや、あんたそれ(教師)以外の人生やったことないやん!しっかり勉強して、ちゃんと学校を卒業して広げた可能性を活かさずに、ずっと教師だけやってるのはなんで?人生で教師以外の可能性を体験したことないのに、何を根拠にそんなこと言い切ってんの?」



そもそも大人たちが言うてる『可能性』ってなんやの?

その可能性って「給料の高い職業に就く可能性」って意味合いが、めっちゃ強い気がする。


人生で大切なことは、”給料が高い職種・職業”に就くことである!

って言う思い方に、疑いを持ってない人にとっては、「可能性」って給与明細っていう数字で表せるよね!

だから、親や教師や周りの大人の意見を聞く時は、その人個人にとっての「人生の幅とは?」ってことや、その人にとって「人生で大切にしてること」を、しっかり聞いた上で、その人の言葉に耳を傾けるか否かを、自分で決めた方がええ!

誰かにとって重要なことが、自分の価値観と合ってないなら、それは「価値感の押し付け」やから、「こんな価値観の人もおるんやな〜」くらいで聞き流してちょうどええ。笑


かと言って、卒業してない(中退など)人だけが、人生の幅を広げて、可能性がたくさんある!なんて言うつもりもない。

それも全く同じで、「何を重要と思ってるか?」「何を優先してるか?」「何に可能性を見出す人なのか?」ってことによって、全然違うもんね〜。

低学歴と言う理由で、少ない選択肢の中からなんとかかろうじて見つけた仕事で、日々の生活をやり繰りしてる人は、もしかしたら「仕事そのもの」への執着が少なくて、今いるところと違う世界への興味をそそられる機会が増えるかもしれへん。

所有してるものが少なくて、執着もなく、フットワークも軽く、フラ〜っとどこかへ出掛ける身軽さが、別の可能性を生み出すかもしれへん。わからへんやん??

だから、話を聞くなら、いろんな学齢・経歴の、いろんな年齢の、いろんな職種の、いろんな経験をしてる人々から、それぞれの人生の、様々な側面を聞いてみないと、同じような世代・経歴の人の話を、たくさん聞いても、偏ってしまうに決まってる。

一つの道しか知らん人が、他の道は危険だ〜!って思う心遣いからのアドバイスもあるかもしれへんし、いろんな道を歩んだからこそ、一つの道を極める素晴らしさが理解できへん場合も、理解できる。


余談やけど・・・。

大学卒業者は、大学卒業者の言葉を信じたいし、中退した人は、中退経験のある人を尊重する。高卒の人は、高卒の人を話を尊重するし、終身雇用を貫いた人は転職を勧めへん。転職経験がある人は、一つのところに留まることにメリットを感じへんかったりする!

こんな風に、それぞれの人が、それぞれの経験則の中で、それぞれの価値観を作り上げていくねん。


安定した人生では得ることができない「経験」が積める機会

そう言う視点で捉えると、不安定な人生には、安定した人生では得ることができない「経験」が積める機会がちょっとだけ多いようにも感じる。だとしたら、それは「人としての幅が広がる=肥やしにする」こともできる。


まぁ何が言いたいかと言うと・・・

1. 卒業資格に価値を置いて、それが人生において威力を発揮すると信じてる(信じたい)のは、卒業資格によって何らかの恩恵を受けてる人だけ。

2. その恩恵そのものが、”給料”だったり、”やりがい”だったり、”安定”だったり、人の価値観によって全く違う。

3. 「せっかく卒業したから」って思いに縛られて、卒業資格がないとできないことに固執したくなったり、卒業資格を活かすことに躍起になりすぎて、結果的に人生の幅を狭めてしまうな〜。

4. ”人間としての価値”じゃなく、学校名と卒業資格に価値を置く人や環境の中で
生きたいなら、親や周りのアドバイスを聞けばええし、そうじゃないなら、適当に聞き流して無視したらええ〜。

5. 人生の幅や選択肢なんて広げても、悩みも増えるだけで、別にお腹いっぱいにならへんで〜。


結局、中退しても卒業しても、何を選んでも、どう生きても、人生なんて所詮暇つぶしの道楽やから・・・。笑 
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みたいな無責任なこと言うといた〜。 


私との会話で、

煮詰まってることがアホくさく思えたなら、最高やな〜!


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