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自信持って鬱になれ〜!笑 「鬱は甘えだ!」への自分の反応こそが真実である


鬱は甘えかどうかって議論そのものが”不毛”!

「鬱が甘えであると困る人」は、なんとか鬱が甘えじゃない理由を語るやろし、「鬱は甘えである方が都合がええ人」は、なんとか鬱が甘えである理由を説く。

それぞれの立場で、鬱を「甘えにするか否か」の主張が変わってくる。


「鬱が甘えであると困る人」とは、鬱になることで得した人。

例えば、ちゃんとやるべき!できて当然だ!と自分で思ってるしわかってるけど、できないことorやりたくないことを、やらなくて良ければ楽だから逃げ出したい!って思ってる。でも他人から咎められることや、否定されること、「お前はダメだ」の烙印を捺されることは、やりたくないことをちゃんとやるのと同じくらい苦しいことやから、他人からの評価を落とすことなく、やらずにスルーすることができる。「私は怠けて投げ出してるわけじゃない。やりたくてもできない状態にある」をアピールできるお得感。

「鬱は甘えである方が都合がええ人」とは、鬱にならずに頑張って切り抜けて得してる人。

他人から咎められることや、否定されること、「お前はダメだ」の烙印を捺されることは、やりたくないことをやるよりも苦しいことやから、他人からの評価を落とさないために、ちゃんとやるべき!できて当然だ!と自分が信じてること(状況)に、あえて自分の身を置いて、「決して逃げずに努力と忍耐と根性でやり切る甘えてない私」をアピールできるお得感。

まぁ〜、どちらの立場であっても、そもそも「自分の立場の正当性を主張してわかってもらわねば!」って思ってる時点で、自分自身が一番疑ってて、無意識レベルでの「うしろめたさ」があるんやろな!笑 (無意識やから気づいてへんけど)


根本的にはどっちも同じ! 

『他人から咎められることや、否定されること、「お前はダメだ」の烙印を捺されること』を、

・鬱になることで回避してるか?

・鬱にならないことで回避してるか?

っていう手段の違いだけで、どっちもどっち〜。同じ穴のムジナ。 

と同時に、一方は「鬱は甘えなんかじゃない」って主張しながら、「私、甘えてるのを認められないプライドが高い人」って暴露自己紹介して、もう一方は、「鬱は甘えだ」って主張しながら、「私はそもそも甘えられない可愛くない人」って自己紹介してる。笑

ほんまコントやで!笑


そしてそれぞれが「味方」を見つけて、相手の主張をなんとかねじ伏せようと頑張ってんのは、「目クソ鼻クソ」!笑 ちょっとした形状の違いや、色や触った感触や、ニオイの違いなどはあっても、所詮どっちも「クソ」。笑

クソ同士張り合ってんのは、周りからすると「どっちもクソ」でしかない。笑



甘えられることが大切?甘えへんことが大事?

甘えることができる方がいいのか? 甘えずにやり切ることが素晴らしいのか?なんて議論への答えは、「どっちでもええわ!」でしかない。答えを「良い悪い」「正誤」で導き出そうとしてるなら、そのことに思いっきり疑問を持った方がええ。

この場合の「甘え」とは、「信頼して委ねる」ことではなく「依存」のこと。所詮どっちも「甘えるのはダメ=誰かに依存してはいけない」って思いで虚勢張っててしんどいねん!

この原因は、”甘えてはいけない、依存してはいけない→甘えたくない、甘えてたまる!依存なんてするもんか、してたまるか!”が根強くあるから。

だから、甘えや依存心をどうにかして「甘えないように、依存しないように」と意気込んでも、どうなるものでもない。

根本の「甘えたくない、甘えてたまる!&依存なんてするもんか、してたまるか!」の方を紐解いていかんと、あかんわな!笑


真実はここにある!


結局、事象に対する「自分の反応こそが自分にとっての真実である」ってこと。

自分の反応が、すべてを物語ってて、そこにこそ真実が隠れてる。(←同じことを繰り返し言うてる〜!笑)

誰にも責められてへんのに、「鬱は甘えだなんて冗談じゃない!」って激高して、反論してるっていう事実こそが真実。

誰にも聞かれてもないのに、「鬱は甘え?そうだそうだ!甘えてんじゃないわよ」って同調してるっていう事実こそが真実。

ええも悪いもなくそれが自分にとっての真実


対立する意見や言い分をこき下ろしたり、自分の正当性を必死に主張したり、同意・同調できる人とだけつるんで、自分を腫れ物扱いしたりせず、「それが真の自分の姿である」ってことを、そのまま見つめることが「自分を直視する」ってことなんやろな〜。

極端なこと言えば、「自信持って鬱になれ!自信持って鬱であれ!」ってことさ!笑


・「鬱を利用しなけりゃ甘えられない私だから、鬱になって甘えまくってるの」

・「私は、頑張ってる自分、努力してる自分しか許せなくて、甘えてる自分は受け入れられないから、苦しくても無理してしまうの」

って公言して、胸張って「真の自分の姿」を、自分自身が認めてしまえ〜!


それができると、周りのどんな発言も、どんな攻撃(口撃)も、気にならへんし、そのまま受け止められるようになる。

ついでに言えば、「鬱」を利用する必要もなくなるし、「鬱の誰か」を責める必要もなくなるわ!


そして次は、「鬱は甘え論争」に、目くじら立てず、感情を揺さぶられることもなく、蚊帳の外から客観視できるようになる。

そうなる頃には「鬱の利便性」とかを度外視できてる自分に驚くかもよ〜?

知らんけど!笑



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