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ランダム 存在の確率

「ランダム 存在の確率」
生きてるかもしれない猫と
死んでるかもしれない猫
「シュレーディンガーの猫」

ドアを開けてどこでも行っちゃう
my darling ナツ🐈‍⬛の
いる人生と
いない人生

さび猫🐈ベビのいない英国で
講師しながら
博士論文執筆継続の選択と

指導教官や教授陣に
呆れられながら
日本で論文書き続けるからと帰国した人生

孤独から声を失ったベビ🐱猫
フィラデルフィアーロンドンflight

「babyに早く会いたい」と
半泣きの私の
babyを
猫🐈ではなく
人間の🧑赤ちゃんだと
話ずれてんのに
共感してくれた心温まるあの人達

最後に
「猫かい🐱!」と
爆笑したあのフライト
あれで良かったのだ❤︎
あれで良かったのか?

自分が選んだ世界と
選ばなかった世界。

「そこにあるであろう、微細な差異」
「その小さな小さな〝差」

こそが 
「自分」という存在の「印」なのだろうと

「世界から猫が消えたなら」の著者 
川村元気は言っている。
彼も猫を世界から消すことが出来ず
我が人生を消す方を選んだ人間だ(笑)

ひとって 
きっと その時々の「点」
「視点」みたいな「点」がつながった
「線」

あの時 繋いだ手
あの時の抱擁

あの時 あの手を掴んでいたなら
あの時 彼女を行かせなかったならば
あの時 思い切って電話していたならば
あの時 出発を15分遅らせたならば
……

「ランダム 存在の確率」
という2015年の映画。
彗星の接近で多重に枝分かれした自身の密室空間。

「あっちの部屋の」私は幸せそうに笑ってて、あの男も手に入れてんのに

「こっちの部屋の私は」…荒んでる
入れ替わりたい(涙)
とあっちの自分を羨望…
殺して 入れ替わろう
どうせ 同じ「私」なんだから
って思ってる顔がこれ…
このシーン
鳥肌ものdesu

ランダム 存在の確率

ラカンの症例エメだってそうだ。
彼女は羨望対象の女優を見
自分を見ていた。

dual (双数)の
duel (決闘)

「僕は、僕自身を見ている」のだ
「僕は
そんな男性になりたいという男性に
眼差しを向け
カーブして
自分に戻ってきた視点として

自分を見
自分のことを語っているが
実は
自分は
見られ 語られているのだ」

自己疎外とは
常に自己の欲望と向き合っており
自己のありようを見つめ直すことができない

この乖離 点のズレが線になり
そのズレは
「直線というわけにはいかず、点そのものが苦しみ迂遠にズレつづける…語りはズラされつづけ、いつしか語られる存在となり、一致しないままズレつづけ、語り手は固有名から逃れ続ける。」  ー「デッドライン」千葉雅也著

このズレ 
苦しみ
無数の失敗や後悔、
叶えられなかった夢、
嫉妬や羨望
会いたかった人
行きたかったとこ
「こうしたかった、ああしたかった。そこを分かれ道として」こう生きれたら良かったのに…

それが自分の中の
「悪魔」
自分のドッペルゲンガー

「悪魔」とは
「なりたいけれども、なれない自分」
「自分に一番近くて遠い存在」
「あなたが生きたかもしれない人生」
川村元気の「悪魔」の定義 絶品ではなかろうか?

ひとはきっと
悪魔を通らなければ
天使になれない

「悲しかったこと」
がなければ
「嬉しかったこと」の
ほんとの意味はわかんない。
「いつのことだか」ふんふんこれでよかったんだなんて思えない。

人間というのはとかく「選んだ人生から選ばなかった方の人生を眺めて、うらやましがったり後悔したりしている生き物」ですからと川村はいう。

でも…
ランダムな選択の根底には本当に決定とか
何か自身を貫く線的法則性とかがあったのだろうか?こっち選んだ私とあっち選んだ私って違うの?

チャーマーズは「意識する心」でこう言っている。

「私の心例えばM2はそのうちのひとつに過ぎない…
何故こんな所に来てしまって
どこか他の分岐の一つに行かなかったのか」

「私の私自身という感じは
分裂した時に他の道を辿ってできた他の私
が持つ感じに付随していかないのか?
私性を結びつけているものは一体なんなのか
私はなぜ他の誰でもなきこの人物ということになるのか。いったいどう答えるべきなのかおよそはっきりしない」

「私はまず自分が名乗り、相手の名前を尋ねた」
もうあの時の「わたしたち」ではなくなっている。でも、彼ら夫婦の意志や決定に依拠しない。時の女神は残酷だ。(萩原浩 「明日の記憶」)

きっと 椅子取りゲームのようなものだよ。
こう言うっきゃない。
同じ時 同じ場所にいくつかの物体は同時に場所を占めることはできないから。アリスのチェスやオセロゲームみたいに。
だから
私は
大切な人 そして自分にいつも問う
「あなたの本当に好きな人は誰?」
「その人に会いに行って」
「お話ししよう」
「美味しいもん食べよ」
「どこ行く???」
 どこか ではなく ここ?
 また ここ?
 そして
「あなたはそこに」
それだけでいいよね
イタリア映画「道」のように
会えなくなったら
会えないから

谷川俊太郎 あなたはそこに

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