読書メモ 「残像に口紅を」

「残像に口紅を」
 筒井康隆
 中公文庫 1995年



息子が本を買ってきた。
『残像に口紅を』—— 筒井康隆ではないか。
最近、息子の感想文か何かで句読点が全くと言っていいほど入っておらず、しかも原稿用紙の一行目からスペースも空けず、いきなり書き出されていたのに思い切り脱力したばかりだったので、へえと思った。どうやら TikTok とかいうので話題になっていたようである。ああなるほどね。


いやいや、やはり筒井康隆は面白い。一文字づつ文字(音)が消えていくのである。これ、考えついたとしても実行に移すのに勇気がいりそうだ。事実、筒井康隆は本作と『文学部唯野教授』を執筆当時、胃に穴が空いたそうである。


文字(音)が消えていく —— 結末がどうなるかはお解りであろう。しかしそんなことはこの際、どうでも良いのかもしれない。消えていく過程、これが可笑しくも哀しい。
「何かが失われたということは、それが何なのかわからなくても悲しいものさ」
娘たちが消え、文壇の空洞化が露呈し、妻が消え、愛を交わし合った愛人も消える。しかし、そんな「虚構」を作り出したのは主人公だ。自業自得なのだ。不出来な翻訳小説のような描写に当惑させられる愛人との交情場面。講演会を「年寄りでいくか」と乗り切る可笑しさ。珍妙な文体がここまで哀しみを表現できることに、私は正直驚いた。


ストーリー性、なんて野暮なことは言うまい。主人公も語っているが、これは「曲芸」なのだから。しかし、その曲芸の間に間に思わず漏れてしまった(であろう)著者の自身の「弱さ」の告白が、曲芸を単なる曲芸で終わらせていないと感じた。なぜこの形式で主人公は「告白」したのか、してしまったのか。筒井康隆の「含羞」か。だとしたら、筒井康隆とは、なんと魅力的な作家であることか。


息子は…、うーん、半分も理解できないだろうが、まあ読んでみなはれ。

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