読書メモ 「方法序説」

「方法序説
 デカルト 著
 谷川多佳子 訳
 岩波文庫 2012年(電子書籍版)



『方法序説』をずいぶん久しぶりに読み返してみた。しかし「コギト・エルゴ・スム」という有名なフレーズ以外、なぜか全く記憶がない。こんな内容だったっけ? 可能性としては
A. ちゃんと読み通してない、あるいは読み通したが理解に至らず、内容を忘れてる
B. そもそも読んでない

の二つが考えられる。けれど「あの方法序説」を読んでないとは認めたくないので、もしかしたら
C. 読んだこと(行為)自体を忘れてる
だけかもしれない、と第三の可能性を考えてみた。


A. はあくまで読んでる。しかし読んだ内容を忘れてる
B. は残念ながら読んでない
C. は良かった! 読んでる。しかし読んだか読んでないかを忘れてる


ん? Cは読んだか読んでないか忘れてるんなら、やっぱり読んでないかもしれないじゃん。と賢い読者の方々はお気付きであろう。あ、そうですよね。すみません。じゃあ
D. 読んでないことを忘れてる
っていうのを付け加えれば完璧じゃないですか? これ屁理屈? 読んでない奴の屁理屈?


コギト・エルゴ・スムのデカルト氏に言わせればAもCも、もちろんBもDも「結局、読んでないんかーい」となりそうだ。なぜならAは読んだ行為(身体)は確かだが、読んだ魂(惟い・おもい)が不在であるし、Cは読んだが読んでないかという行為を認識する魂(惟い・おもい)が不在だから。
いずれにしろ「われ惟わず、ゆえにわれなし」状態で茫然自失といったところか。あ、でもそういう風に考えてる自分はいるわけだから、存在は、してるよね? 自分。自分、大丈夫っ?


という冗談はさておき、これは冗談ではないので言っておこうと思うが、デカルト氏は上記のような強引な自説の転用・誤用を厳しく戒めている。

ある種の精神の持ち主は、他人が二十年もかかって考えたことすべてを、二つ三つのことばを聞くだけで、一日で分かると思い込み、しかも頭がよく機敏であればあるほど誤りやすく、真理をとらえる力も劣り、かれらがわたしの原理だと思い込んでいることを基礎にして、とほうもない哲学を打ち立てる…(後略)


あちゃー、ダメだって。やっぱり。
という訳でみなさん、『方法序説』をちゃんと読みましょう。

わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ存リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。


有名なコギト・エルゴ・スムが出てくるくだりだ(「夢」というフレーズはこの後にもちょこちょこ出てくる)。ここからデカルト氏は、わたしの本性は考えるということだけにあり「存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない」という、いわゆる心身二元論に進んでいく。言ったな。考えるのに脳ミソ、必要ないって言ったな。でもなんだろう、この軽やかな空気は。心と身体をバラバラにしちゃいけませんっ! て怒られそうだけど、バラバラだからこそできること、あるよね? 魂は自由でいいってことよね?


ここまではよい。問題は、ここから先。
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」の真理性を保証するものは「考えるためには存在しなければならないということを、わたしが明晰にわかっている」こと以外にはないことを認めたので「わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である」という一般的なルールが成り立つ、とデカルト氏は言う。
んん? 成り立ちます? そのルール?? 「考えるためには存在しなければならない」って、さっき考えるから存在するんだって言ったじゃん。脳ミソなんて案外ないかもよって言ったよね? デカルト氏の言う「存在する」って、いったいなんなん?
さらにこれに続く神の存在証明も、いまいちわからない。「まったく完全ではないわたしという存在が、そのわたしよりも完全な何かを考えることが可能なのは、神が存在するからだ」ということらしいが、デカルト氏は三角形の定義を引き合いに出す。

たとえば三角形を想定して、その三つの角の和は二直角に等しくなければならないことはよくわかるが、しかしだからといって、この世界にこうした三角形が存在することを保証するものは、この証明のなかには何も認められなかったのである。これにひきかえ、完全な存在者についての観念の検討に立ち戻ると、存在が観念のなかに含まれていることをわたしは見いだした。それは、三角形の観念のなかに三つの角の和は二直角に等しいということが含まれ、また球の観念のなかにそのすべての部分は中心から等距離にあるということが含まれているのと同じように、あるいはそれ以上に明らかなのであり、したがって、あの完全な存在者である神があること、存在することは、少なくとも、幾何学のどの証明にも劣らず確実であるのをわたしは見いだした。


バカな質問だと承知で問うが、デカルト氏の言う「神」とは、実際は観念上のものなのか、実存在するものなのか。ここでは「観念の検討」と言っている。「神の観念は感覚で捉えるべきものではない、そういう物質的事物に特有な思考法をしてるからダメなんだ」と、読者はこのあとデカルト氏に叱られるんだけど。


それほどページ数もないし、表現も哲学書というわりに比較的易しいとされる『方法序説』だが、うーん、考えれば考えるほど、いろいろわからなくなってくる。まあ、このわからなくなってくる感じが哲学の醍醐味なんだろうけど。
しかたない。ごまめの歯ぎしりで『方法序説』の周辺を辿ってみよう。


デカルト氏はフランス語でこの本を書いている。つまり必ずしもラテン語教育を受けた者だけに向けた本ではないということ。さらに『方法序説』の「序説」とは何かというと「序文」なのだ。何の「序文」かというと、デカルト氏の『屈折光学』『気象学』『幾何学』をあわせた500ページを超える科学論文集の最初の78ページの「序文」なのである。
あらゆる書を読み尽くし「もう書はいい。経験を積もう」と旅に出たデカルト氏だったが、オランダにも点々としながら20年ほど留まった。54年の生涯のうちの20年は長い。それだけオランダという国は居心地が良かったのだろう。当時のオランダは貿易国として栄え、宗教や思想に関して比較的寛容な空気が流れていたそうだ。デカルト氏はそのオランダのユトレヒト郊外で『方法序説』を書く。

知人のいそうな場所からはいっさい遠ざかり、この地に隠れ住む決心をした。この国には、長く続いた戦争のおかげで、常備の軍隊は人びとが平和の果実をいっそう安心して享受できるためにだけ役立っている、と思えるような秩序ができている。ここでは、大勢の国民がひじょうに活動的で、他人の仕事に興味をもつより自分の仕事に気をくばっている。わたしはその群衆のなかで、きわめて繁華な都会にある便利さを何ひとつ欠くことなく、しかもできるかぎり人里離れた荒野にいるのと同じくらい、孤独で隠れた生活を送ることができたのだった。


デカルト氏のこのスタンス、好きだわぁ。しかし、いろいろな意味でゆとりがないと無理な気もする。「長く続いた戦争」とはスペインからのオランダ七州の独立戦争のことだそう。
『方法序説』第三章では真理を明らかにするまでの、当面の行動基準というか自分なりのモラルを説いているわけだが、デカルト氏はそれを三つの格率(行為規則)として上げている。それは「自国の法律と慣習に従うこと、また極端な意見を避け、穏健な意見に従うこと」「どんなに疑わしい意見でも、一度決めたことは貫くこと」「世界の秩序よりも自分の欲望を変えること、自由になるのは自らの思想だけであること」なのだが、この格率といい、ユトレヒトでの隠遁生活といい、少なくとも『方法序説』を書いていた当時のデカルト氏は、世間に対して思いきり閉じているように見える。


デカルト氏は『方法序説』の前に『世界論』という天体や人間について書いた本を出版するつもりだった。しかしガリレイの『天文対話』がコペルニクスの地動説をとるとして、宗教裁判で断罪された事件を目の当たりにし、急遽『世界論』の出版を取りやめる。そして『方法序説』を「匿名」で出版するのだが、これに関してとてもおもしろいサイト
http://kasainote.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
を見つけたので、引用させてもらう。

『デカルトI』(所雄章、勁草書房、1967)
p.135
・「著者名は揚げられず、いわゆる匿名出版で――はあったが、出版・販売公認証に著者の名の明記があるからにはそれがデカルトであることはもはや周知の事実で――あった。」


上記は孫引きになるが、「匿名」とは名ばかりで、デカルト氏が著者であることが周知の事実だったとは。さらに引用を続ける。

たしかに、ガリレイの宗教裁判うんぬんで、という展開は先にも書いたとおりである。
しかし、デカルトはガリレイで問題にされた「地動説」の部分を削って「光論」などを友人のホイヘンスに示した。
ホイヘンスに絶賛されたデカルトは、すでにウワサになっていた彼の研究が、尾ひれをつけて彼に不利に働くことを防ぐためにも、という気持ちがあって出版を決めたことを、デカルトは手紙にしたためている。

つまり、『方法序説』の出版で、彼はむしろ自身への誤解を解きたいと思っていたのだ。
『方法序説』は、いわゆる地下出版ではないのである。
むしろ白昼堂々、言論統制の網の目をかいくぐりながら、公衆に持論をもちかけるという策をとった。


『方法序説』は『世界論』などの自身の研究の噂が広がり、尾ひれがつく前に打った布石だったということか。たしかに『方法序説』の第五章は『世界論』の略述になっている。
第四章の「コギト・エルゴ・スム」がこの本のメインテーマだというのは間違いないにしても、第五章にデカルト氏の強力な執筆動機が見え隠れしていると言うべきか。そう考えると「世間に対して閉じていた」のは、あくまでも『世界論』を後の世に問うための「戦略的擬態」だったのかもしれない、と思えてくるのだ。


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