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流星①

これは、わたしの祖母の兄が80年前(昭和15年4月から昭和16年にかけて)に書いた日記や詩やエッセイが詰まった病床日誌です。

祖母の兄は昭和16年8月14日、23歳の若さで結核のためなくなったそうです。

中央大学法学部に在学中だったそうです。

この病床日誌には、23歳の若者が病床の淵で感じてた苦悩や健康への憧れや恋や哲学や空想が素直に書かれています。

80年前の昭和16年の日本、そして現在のこの地で私が見ている利根川の風景と同じ利根川の流れをどんな思いで見ていたのか、想像し、想いを馳せながら、血の繋がり、時代の移り変わり、不思議な懐かしさを胸いっぱいに感じながら読みました。

最初のページに書かれていた詩は

5月14日

美しき 利根の眺めは 如何ならむ 我が行くまで 姿なかへぞ

という詩でした。

病床から、自宅のすぐそばを流れる利根川を見に行くこともできなくなり、懐かしんで書かれた詩であろうか。私も40年あまり見続けている利根川の風景でも、小さな頃に感じたこと、思春期になって感じたこと、犬とのお散歩中の情景、子供が生まれて一緒に見て感じたこと、同じ風景の中で感じた様々な想いや懐かしさがずっと胸に残っているから、もしも、もう慣れ親しんだ利根川の風景を見に行くことができなくなったら、やはり同じように感じるのだと思います。

80年前にタイムスリップしたつもりで、この病床日誌を紹介していきたいと思います。

97歳になった私の祖母は、今でもまだそこにいるかのように、このお兄さんの話をします。それらの話は私が子供の頃から何度も何度も聞かされていて、子供の頃はすごく不思議で違和感をも感じていました。

ただ、祖母にとってこのお兄さんは憧れと尊敬の対象だったことは間違いなく、とても優秀で優しくて自慢のお兄さんだったと耳にタコができるくらいに聞かされてきたから、私も会ったことのないこの祖母の兄の存在というか影というか、なんとなく、決して忘れてはいけない家族の一員のような、そんな気持ちで生きてきたように思います。

この流星という病床日誌の存在は以前にも我が家の話題に登ったことがありましたが、真剣に読んだ家族はいなくて、ずっと忘れていました。

しかし、昨日の朝目覚めた時に。。。もしかしたらまだ夢の中だったかもしれないけど、急にこの病床日誌のことを思い出し、ちゃんと読んでみたいと初めて思ってしまいました。

理由はわからないです。

ただ、とにかくポンっと思い出してしまったのでした。

読んでみた感想は、叶うことなら直接話をしてみたかった。

人生について、恋愛について、相談してみたかった。

でも、叶わないから。。

この日誌が残されていたことに心から感謝しています。

人生について、生き方について、在り方について、45歳を迎える今、この日誌に出会えて良かった。





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