見出し画像

永劫回帰と思い込みの力

「自分は仕事もバリバリ頑張ってきたし、それなりにやりたいことをやってきた。子どもたちも巣立っていったし、いろいろな意味で余裕がある。これからは、次世代を育てることに集中しようと思う」
こういった言葉を最近、50代以降の方からよく聞きます。

立派な考えだと思います。
そして、私も大いに賛同したいと思うのです。
しかし、どこかでちょっと引っかかってきました。

もちろん、次世代を育てることってものすごく重要です。
けれど、それは、それなりに歳をとって「余裕ができたから」やることなのだろうか。

例えば、自分の子供を育てることは、次世代を育てる中でも、最たるものですよね。そして、子供を育てながら、自分も育っていく。そういった育ち合いが家庭や地域の力になっているんだと思います。

もっと遡って子供の頃のことを思い出してみましょう。
運動会や地域のお祭り、それから日常、近所の子供達と遊ぶ中で、上の子が下の子の面倒を見る、ということを皆がやってきています。もちろん、家庭の中でも、兄弟はそうやって育ち合うわけですよね。

つまり、私たちは、50代を過ぎ、余裕ができたから次世代を育てるのではなく、意識しなくても、若い頃、幼い頃から常に何かを育てているし、育てられているわけです。

定年になってもならなくても、意識してもしなくても、コミュニティがある以上、人は育ち合いながら生きている。

そう考えると、ある意味人は、全力で生きてさえいれば、常に誰かを育てているし、誰かに育ててもらっている。そんな中で、実は自分で自分を育てているとも言えるのではないかと思います。

オーストラリアから一時帰国した長女

先日、3年ぶりにオーストリアにいる長女が帰国しました。
見た目はあまり変わってないのですが、中身は随分と大人になったなぁと感心しました。

やはり異文化の中に入り、いろいろな人と交流する中で、さまざまなことに気づき、悩むうちにグンと成長したのだと思います。

オーストラリアと日本の対応の違いを話し合っていたときに、「なるほど」とすごく納得したことがあります。

それは、オーストラリアでは、年齢を気にしないこと。
(彼女の周りが偶然そうなのかもしれませんが)
幾つになっても人生を楽しむ、やりたいことを目一杯やるという文化が根付いているといいます。

「歳だから」といったことは周りの人は誰一人口にしない。
やりたいと思った時が「その時」でしょ、という感じです。

例えばそれは、高校からすぐに大学に入学する数が圧倒的に多く、ほぼ同年代と学ぶ日本と、10〜50代のさまざまな人が学生として共に学び、交流していく、というオーストラリアとの違いを見ても納得できます。

最近日本でも「リカレント教育」という学び直しの教育が注目を集めていますが、オーストラリアでは、学び直しではなく、もともと「せいの」でスタート地点に並ぶ、といった土壌があるようです。

日本は長く「年功序列」という制度が幅を利かせていたのもあるのかもしれません。元を正せば儒教的な教えからなのかもしれませんが、いつだってそれに縛られているのも、変な話。けれどそういうのも、その文化から離れてみないとわからないものかもしれません。

永劫回帰

先ほど、ハワイに住んでいる友人と話していたら「永劫回帰」を最近信じてるんだという話になりました。

えいごう-かいき【永劫回帰】
宇宙は永遠に循環運動を繰り返すものであるから、人間は今の一瞬一瞬を大切に生きるべきであるとする思想。生の絶対的肯定を説くニーチェ哲学の根本思想。▽ドイツ語ewigewiederkunftの訳語。
三省堂『新明解四字熟語辞典』より

その友人と私が話していることも、長女とラーメンを食べたことも、未来永劫ずっと繰り返すんだそうです。

人間は一度きりだと思うから、何か嫌なことも、とりあえず今我慢すれば、明日はもっと楽になるだろう、などと思いますよね。
彼曰く「その嫌なことが未来永劫繰り返されるとしたら、どう思う?」と。

確かに、今この場で凌げばあとは何か好転するに違いない、と思っていたら我慢できるけれど、それがズーーーッと続くとしたら嫌ですよね。

だからこそ、一瞬一瞬はかけがえないものだから、その時やりたいという気持ちや直感に沿って生きていきなさいってことだと、彼から教えてもらいました。

いついかなる時でも、結果はどうであれ、その時やりたいと思うことに一生懸命力を尽くす

「歳は関係ない」という話がよりリアルになって響いてきました。

未来のために今を犠牲にする?

実は私自身「いつか未来にいい時がくるから、その時のために今嫌なことも我慢して乗り切ろう」という考え方が染み付いていました。でも最近になって「”いつかいい時”なんて、永遠に来ない」という現実に気がついたんです。

長女の話と永劫回帰の話を聞いたら、「それやる時って、今でしょ」ということがめちゃくちゃ肚落ちしました。

重いものを軽々と


もう一つ別の話を思い出しました。

ある映画監督が学生だった頃に、ウチの仕事を手伝ってもらっていたことがあります。

ある撮影の時に、母校から照明器具一式借りてきてくれました。
映画の現場で使う照明なので、量も多いし、重量もかなりありそうでした。どう考えても車じゃないと無理です。でも彼は当時車を持っていませんでした。

一体どうやって運んできたの?と聞いたら、涼しい顔で「電車です」と答えました。

彼も、必要があるから運んだわけで、重いから無理という発想は生まれようがなかったんでしょうね。車は持ってないから電車で、と自然とそういう発想になったんだと思います。

その後も色々苦労したと思いますが、彼は今や日本を代表する巨匠になりました。きっと困難にも涼しい顔で淡々と対応していったことでしょう。

その映画監督の話をここで切り出したのは、結局、思い込みが人生を作るのなら、重いものを軽々と持つ、という思い込みの方が、遥かに充実した人生が送れそうだと思い至ったからです。

もしかしたらそれは茨の道かもしれないけれど、トライした者だけが得られる満足感があるはずです。

転換のきっかけ

今年もあと1ヶ月を切りましたが、バタバタ生活や仕事に追われているうちに、なんだか大切なことを考えないようにしていた気がします。そんな中、長女が帰ってきてくれたことをきっかけに、生き方、モノの捉え方をぐるん、と動かされました。

こうやって育ち合える関係、本当にありがたくて。長女に感謝です。






この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?