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人の還る場所は森

この前、愛媛県の久万高原にある「由良野の森」に行ってきました。

現在、資源・環境・文明ジャーナリストである、谷口正次先生のドキュメンタリー映画を撮影しているのですが、そのロケハンとして伺ったのです。

素晴らしい森や人の素晴らしさ、そして森を守り、それによって人も守られるというライフスタイルの素晴らしさに、いたく感銘を受けました。

実はこの、由良野の森の帰り道。
急に「帰るところがない」と感じ、ものすごく悲しくなりました。

「今まさに帰ろうとしているのに、帰るところがないってどういうこと?」

後から考えたらすごく変な話。思わず考え込んでしまいました。

人の還る場所

昨日偶然、生態学を長年研究しているある大学教授がおっしゃっていたという、以下の話を伺いました。

森林保全や再生がなぜ大切かといえば、もちろん、種の保存や生物多様性の保全は重要だが、何よりもそれは「人の再生」なのです。

人は、森や海の自然の中に入れば、整うようにできている。
それは、人類発祥以来ずっと森林で暮らしてきたDNAがあるからです。
自然の中で「整う」という感覚が分かること。
それは時間がかかっても子供達に是非とも取り戻してほしい感覚です。

このお話を伺って、人間の「還る」ところって、結局森なんだなーと改めて感じました。

認識上、現実での家は鎌倉なのに、感覚的「還る」場所は森。
そういった身体が引き裂かれるような感じが「帰るところがない」という感慨に至らせたんだと。

おそらく、無自覚でそんなふうに感じている人は相当数いると思います。
コロナ禍で鬱になっていく人が急激に増えたのもよくわかります。

地球上の90%以上は植物

生態学の先生からのメッセージはもう一つあります。

地球上の90%以上は植物。
人間は、多様な動植物の中の、ほんのわずかの生物であるに過ぎません。
人とと人との関係性というのは、地球上の中の極々小さものでしかなく、それだけ取り出してどうこういうようなものではない。
結局、「人と人との関係性」は周りの動植物含めた環境の中のほんの一部にすぎないのです。
私たちは、そのことをよく理解しないといけません。

結局、人との付き合い方は、その環境全体の中での一つの関係性にすぎない。だから、個別の関係性だけ見ていても意味がなく、全体の関わりから、相手との関係性を見ていかないとダメだという話。

つまり、環境問題は、身の外の話ではなく、身の内の話であるということ。人間は植物から気づかないうちに得ていることが山のようにあるということでもあります。だからこそ、植物との関係性を自分の「身の内」の問題として、をもっと大切にしていかなければいけない。

それは谷口先生もよくおっしゃっています。

植物に人類の生存と未来が掛かっているにも拘らず、人間は植物を見下し、非生命化してしまっています。17世紀以後の人間中心の西洋合理主義文明のなせる技。日本人も近代化によって欧化してしまいました。

とはいうものの、四季と同化して、植物と共生して生きてきた日本人古来からのDNA は変え難く、本来の人間に立ち返ろうと感覚的に気がつき始めた人は多い、と谷口先生は続けます。

森で生活していた私たちの祖先を見習って、植物をリスペクトしなおし、
関係性を見直すために、何かできないだろうか。


谷口先生のドキュメンタリー制作のおかげで、ようやく本気で取り組める宿題が見つかったような気がします。

まずはいい作品に仕上げることが最重要課題であることは言うまでもありません。

全力で頑張ります!

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