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日本を代表する映画評論家、佐藤忠男は、真から教育者であるという話。

映画評論家の佐藤忠男氏。

日本を代表する映画評論家、元日本映画大学学長(旧:日本映画学校校長)。世界中の映画ファンから、一目も二目もおかれるような、素晴らしい評論家です。

特にアジア映画を日本に紹介した実績は計り知れず、例えば中国では、「第5世代」と呼ばれるチャン・イーモウやチェン・カイコーなどを輩出した世代を中心に、凄まじい尊敬を集めています。

彼らの出身校である北京電影学院では、佐藤氏の評論を教科書として採用し、永く映画青年たちの糧となってきました。

もちろん、佐藤忠男氏が教育者としても格段に優れていることは、映画界を中心に広く周知されていることではあります。

ただ今夜は、佐藤忠男氏のあるエピソードをふと思い出してまして。アァ、やっぱり佐藤先生って本当の「先生」だよな、と改めて思った次第であります。

エピソード

2002年から約10年間、NPO法人横浜アートプロジェクトというアートマネジメント団体を立ち上げ、アジアの若者の映画映像製作振興を目的として「横濱学生映画祭」という映画祭を主催してきました。(最後の2年間は別名義として都内で開催)

*こんなむかーしの記事がまだ残っているなんて、ちょっと感激です。懐かしい。

佐藤先生には、同映画祭でも顧問に就任いただくなど、一方ならぬお力添えをいただきました。私たち夫婦にとっては神様級の、神々しい方。もちろん、足を向けてなんて、絶対に寝られません(いや、本当に)。

その佐藤先生の奥様から、こんなエピソードを伺ったことがあります。

日本映画学校(現:日本映画大学)の校長でいらしゃった頃のこと。今から12〜3年くらい前のことでしょうか。

当時の佐藤先生は、学校経営をしながら映画評論を執筆、そのほかにもシンポジウムや各地の映画祭に参加するなど、激務をこなされていました。

先生は、どんなにお忙しくても、毎年1年生が、入学後初制作する習作の全作品に目を通され、1つ1つコメントをつけて返しておられたそうです。

ほとんどの学生にとって、人生初の映画制作。それを日本を代表する映画評論家に見てもらえるなんて、なんて贅沢な。

深夜にわたって学生の映画を見続ける忠男先生。
あるとき、見るに見かねた奥様が、早く休むように促したそうです。すると先生は「どんな映画にでも、必ず一つくらいはいいところがあるもんだ」とおっしゃって、結局夜明けまで見続けたそうです。

この話を伺った時、佐藤先生の映画を学ぶ学生に対する愛情や熱意に、すっかり感銘を受けてしまいました。

私たちは、学生映画祭を主催するにあたり、学生からの応募作品を全て拝見し、審査してきました。
正直、プロフェッショナルの手のものでない作品を長時間見続けるのは、相当な体力が必要です。

何十本も見続けたうえ、1本ずつ愛情あるコメントをつけて返すことが、どれだけ大変な作業か。

何より、学生を信頼し切っていないと、絶対できないことです。

批評しない評論

そういえば、佐藤先生の評論では、どんな映画も批評されていません。重箱の隅をつついたり、ダメ出しみたいな言葉も一切ありません。

あるのは、読んだ人に「この映画見てみたい」と思わせるような文章だけです。それを誰にでもわかるような平易な言葉遣いで書かれています。

おそらく、佐藤先生に書いてもらった映画関係者は、ものすごく嬉しいんじゃないかと思います。すごい実績のある評論家というだけでなく、なんというか、やる気やクリエイティビティをめちゃくちゃ刺激する文章なんですよね。

それはおそらく佐藤忠男という人が、どんな状況においても、決して嘘をつかない人だからだと思います。

どんな映画にだって、一つくらいはいいところが必ずある」というアレです。

いいところをきちんと自分の目で見て感じて、それを全力で褒める。それが、作り手にも伝わるし、見る側にも伝わる。

そうすると、作る方は俄然自信がつくし、見る側は「あぁ、こういう見方があるんだ」と新しい映画の見方を知ることができる。

これは、教育以外の何モノでもないな、と。

やっぱり神様級の佐藤忠男先生

日本映画学校から、数多くの映画関係者やメディア関係者が輩出されているのは、やっぱり、こういった佐藤先生の姿勢が大きな影響を及ぼしているんじゃないかなぁと思いますね。

私たちも、ご一緒させていただいた10年間は、ものすごく貴重で、ありがたい時間でした。もう10年以上も前の話なのですが、今さらになって、余計にそう感じます。

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