見出し画像

音楽を感じる時

生活の中で音楽を感じる時って、一体どんな時なんだろう。

そりゃ「音楽を聴いている時」に決まってるじゃん、という答えが返ってきそうだ。だけどよくよく考えると、音楽を聴きたくなる時って、音楽を感じるからではなく、音楽を感じたいから聴くのだ。

また、自分の周りの空気、雰囲気を変えたいような時に、音楽を聴きたくなることもある。

そうではなく、そこに佇んでいるだけで、音楽を自然と感じるのはどんな時なんだろうか。

そもそも、音楽って?

ところで音楽とは、「音」のことなのだろうか。

普段の生活の中で、音は無数にある。虫の声、鳥の声、林を抜ける風の音といった自然の音から、洗濯機が回る音、電車の音、車が走る音、ドアを開ける音...。数え上げればきりがないし、それらの音をぜーんぶ録音されたように均等に聴いていたら気が狂う、というくらい、すごい数の音が存在する。

でももちろん、それを感じたからといって、音楽を感じたということにはならない。

じゃあ、そもそも音楽とは何なんだろう。

身体の中に響くもの

以前面白い体験をしたことがある。

私の住む鎌倉は、秋の夜には、そこいら中から虫の声が聴こえて来る。それはすごい数で、家の周り全体を虫に囲まれているように感じるくらいだ。

ある夜、もう寝ようかな、というような時間になって、部屋でぼーっとしていたら、急にその無数の虫の声が、体の外ではなく、内側から響いてきた。

気のせいかと思ったんだけど、普段外から聴こえて来る音と同じくらいクリアに、サラウンドに聴こえて来る。

不思議な感覚だった。

体の中で虫が鳴いているのは、物理的にはあり得ない。虫は体の外どころか、家の外にいるのだ。

でも、明らかに虫の声は身体の中から聴こえてきた。間違いなく音のベクトルは、身体の中から外に向いている。

結局人間は、外部からの刺激を一度身体の中に取り込んで、そこから自分なりに再編集して感覚しているんだな。その時そう感じた。

音から音楽へ

とすれば、音を音楽と感じる時は、外部からの音を響きとして捉え、それを自分の中で再編集し、音楽化している、とも言えるのではないだろうか。

音楽を聴いて鳥肌が立つのも、身体に取り込まれた音の響きを再編集する過程で、何か特別な感動や感慨を覚えるのかもしれない。

「虫の声が聴こえる」ことは、身体の中で音楽として醸成された結果、生まれる感覚だとも言えそうだ。

さらに言えば、人は、耳からの刺激である音を聴いていることだけに音楽を感じるのではなく、自然はもとより文学や絵画、料理などの造形物の中にも、音楽を感じることがある。

音楽というある秩序の中で、音が生き生き躍動感を持って感じられるとしたら、そういうものはすべて音楽と呼ばれるものなのだろう。

音楽を感じるという創造性

そのように考えると、やはり人間って、そもそもクリエイティブにできている生き物なんだなと思う。

「自然のままに」と言っても、感じることすべてを、自分たちなりに編集・創造して、ある意味都合よく味わっている。

それが、一人だけではなく、大勢の人たちで味わうことになったとしたら、その時個人の感覚は、文化に変わる

それにしても、一瞬のうちに身体の中で音楽が生まれるのかと思うと、身体の精妙さ、即興性に改めて驚かされる。それが無自覚っていうのもすごいことなのではないだろうか。
























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?