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和えるということ

この前ご紹介した、土井さんの対談本で、「和える」ということについて語られていました。


旧暦のお正月の朝、箒がけしつつ、「和える」ことに考えを巡らしました。そのことをnoteにまとめてみようと思います。


和食には、「和物(あえもの)」という調理の方法がありますよね。
「和える」って、「混ぜる」じゃない。
満遍なく混ぜてしまうと、別物になると。
一番きれいなところでやめるのが大事なんだと土井さんは言います。

「和える」という感覚って、様々なことに通じるなと思います。

例えば、音楽。


いい演奏は「一人ひとりが自分の演奏を追求しているのに、バンドとしての全体のまとまりがある」と、ジャズ評論家の清水俊彦さんから伺ったことがあります。たしか、レオ・スミスのバンドのことをそのように話していたような記憶があります。


*たまたま、レオ・スミスを検索したら出てきた記事です。
母校の出身の方だったので、嬉しくなって引用させていただきました。

例えば、教育。


個性豊かに、とはいうけれど、実際にはどうなんだろう。
役に立てる喜びを知っている子が学校の一人一人だったら、そして、いろいろな役割があることを誰もが理解している学校だったら、「みんなちがってみんないい」はうまく回ります。

(詳しくは「特活」についての記事に書かせていただきました↓)

例えば、茶道。


茶道は総合芸術の世界。一期一会の一服を味わっていただくために、さまざまな要素を、うまくその日、その時のお茶席に取り込んでいく必要があります。

その時に、亭主の好みや趣味などでお茶席を創っていくことも大切なのだろうけれど、そこに集う方々のいろいろな情報や、持ち込んでくるものを「和える」と、誰もが思っていないような調和の世界が現れる。まさに、一期一会とはそういう自然現象のことを指すのではないかと思います。

例えば、組織経営。


経営者が社員一人一人の顔が見えないように「混ぜて」仕舞えば、いっときビジネスはスムーズに進むかもしれませんが、必ず限界がきます。

高度経済成長で肥大化した資本主義などはその典型で、組織と一人一人がかけ離れてしまいました。

30年間のGDP横ばい時代を経たコロナ禍により、その辺りは変化してきつつあるなと感じます。

規模は大きくなくても、一人一人が自分の感覚を信じてモノを作る。
買う側と作り手が、もっと近くに寄り添いながら、お互いの顔が見える範囲で、モノを開発していく。
そういった、誰もが幸せになる、フラットな関係性を生み出すビジネスは、
まさに「和える」世界。

あらためて、和食は奥が深いな〜と思いました。
普段何気なくやっているものではありますが、あらためて一つ一つの調理方法や所作を見直していくと、生き方のヒントが隠されているのかもしれません。













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