ピアノの音色、文化の景色
今日はちょっと音楽の話を。
ウチのピアノの面倒を見てくださっている調律師のOさん。
ヨーロッパに遊学して調律の腕を磨いたツワモノです。お話も面白くてとても素敵な方。
調律が終わってお茶の時間になった時、こんなことを仰いました。
「最近ようやくドレミじゃなくてアーベーツェーで調律できるようになったんです」
どういうことか聞いてみると
「ピアノの元はイタリア発のチェンバロですが、その後ウィーンで盛んに製作されたんで、ドレミじゃなくて、ドイツ語のアーベーツェーで調律しないと合わない。このことは自分も薄々気づいていた。でも、どうやったらアーベーツェーで調律できるか、長年の謎だったんです」
そんなものなんだ。弾いてもらうと、確かに音色が違う。芯はしっかりしてるのに軽やかで柔らかい。
どうして??と聞くと、理由は分からない、ただ、向こうの楽器だから向こうの言葉に合うのは間違いないだろうと。
こういうのは職人の勘なんだろうけど、そこに気づけるって本当にすごいなと思いました。
さらに曰く「こういうのは、向こうの人は一生気がつかない。だって自然とそうなってることだから。でも、自然にはそうならない日本人だからこそ、なんとか近づこうとして、その構造に気づける」と。
実は西洋人にとって、日本人の演奏はエキゾチックで、絶対彼らが出来ないものとして憧れの対象となることもあるらしい。
古来、日本人は色々なジャンルで海外のものを取り入れて、国風文化に変えていきましたが、その経緯を垣間見ることができたような気がしました。
最後に愚問とは知りながら、どうしてそんなことに気づけるようになったのか聞いてみました。
「特別なことは何もしてないですよ。でも、僕は岩手の田舎で、風の音や虫の声を聴いて育った。そういうことが何か影響しているのかもしれないですね」
音楽の原点は、自然と一体化したかった、人間の強い希いだったのかもしれません。自然からちょっと外にはみ出した生き物だけに、構造を知ろうと努力し、自然の言葉で話そうと技を拓き、磨き続けた結果、音楽が生み出されたのではないか。
さて、今夜は何を聴こうかな♪
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