「期待」が持つ大きな力との距離感
先日、夫の実家とテレビ電話でお話をしていた時のこと。
在宅ワークが増えて、一緒に過ごす時間が増えている私たち夫婦に、義父が「お前たちは喧嘩しないんか?」と質問をしてくれた。
私は「ケンカしないんですよね〜。多分お互いにそんなに期待とかしていないから、がっかりすることもないし、モメる原因がないんです〜」なんて答えたら、義弟が「ドライな夫婦やな」なんてコメントをくれたんだけど、あ〜確かに期待がつながりを作ったりすることもあるよね、としみじみ考えた。
期待というものは、なんて大きな力を持っているんだろうか。私は期待というものに、ちょっとした恐れを抱いているのかもしれない。
人から期待されることが、自分の背中を押してくれて、いいエネルギーが湧いてくることもある。役割を与えられたり、期待に答えたくなったり、いい意味の緊張感が生まれたり。
一方で、期待とは、する方もされる方も、それと上手な付き合い方をしないと、期待が力を持ちすぎてしまうことも多々あると思う。そうなると、個人の願いが抑圧されたり、時には暴力になってしまうことすらある。
色々なことを自分の頭で考えて、自分で決めて、自分で全うすることが、人生において一番大事なことなのではないかしら、と思っているからこそ、それを奪いかねない期待というものに少し距離を置いておきたいという思いが、私にはある。
期待って、結構自分勝手なものになりがちなんじゃないかな〜って思うことが今までの人生で多々あった。「夫なんだから」「妻なんだから」「大人なんだから」「仕事なんだから」「女なんだから」「上司なんだから」「代表なんだから」というようなモノサシで、自分の価値観や願いを相手に押し付けることと、期待が同義で話されていることがたくさんある。
人に期待をかけるときは、もっと慎重にしたい。
あなたの願いや、あなたの気持ちを、ある程度聞かせてもらった上で、それを最大限尊重するよという空気感が醸成されていない場所で、とてもじゃないけど期待なんて口にできない。だって、私の期待が、あなたの願いや気持ちを踏み潰してしまったら、いやだもの。
夫との関係性においては、お互いが大切にしたいことをだいたい把握しているので、それを尊重し合う、ということで十分に関係性が成り立つ。尊重し合うことが愛であって、期待し合うことを必要としていないんだなと感じた。ただただ、いる。それで十分。
仕事仲間との関係性においては、「期待」というものの扱いについてだいぶ悩んでいる。もう少し、相手に対して抱いている願いやリクエストをちゃんと口に出せるようになった方がいいんだろうなと感じ始めている。私の「期待」を口にしても、あなたの願いを潰さないよね、という安心感を持てるような関係性を育んでいくことが大切なんだろうな。お互いにその安心感を感じられる関係性を一つでも多く作っていきたいし、そういう関係性に満ち溢れたチームを作っていきたいと思っている。
家族の会話から、結局はこうして仕事に繋げて考えてしまう私なのでした。あ〜、相変わらずややこしいことばっかり考えている。