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非現実と私3

現実に起こっていることがつまらない。
ここから自由になれたらいいなと思って、現実とは違う非現実に、ぼんやり心を寄せて、今に心がない。現状を受け入れられない、向き合えないって子供だ。今が楽しくないと文句を言うだけで、楽しもうと努力もしない。
いつまでも落ち着かなくて、皆に心配と迷惑をかけている。

頭ではわかっている。
どこに行っても、私はある空間の中に所属することからは逃げられない。だから、いっそのこと、今そこにいることを諦めなさいと自分に諭す。でも、諦められない。

自分の思い描くことが目の前にない。辛い。非現実になんか憧れたくない。

私が、”これだ”と思ったものに集中と依存をしやすいのは、もしかしたら理由があるかもしれない。心がいつも散っていて、辛い。そこに”これ”が漸くやってきた時、私は”これ”に没頭する。そうすると、夢を見ることから解き放たれる。やっと現実の中にいる感覚を得られる。時を捕まえられた感覚がする。
それで、心地よいからかもしれない。
心が散っている状態に戻りたくないからなのかもしれない。

現実がつまらないとなっている時は、前に在る現実に対する感覚が弱い。目の前にある壁は、ただ冷たいだけ。重ねた自分の手は乾燥しているだけ。鈍くて、一瞬。
もしかしたら、そういう日常的な感覚には、もう少し意識を、わざと強めてみるべきなのかもしれない。

そして私には、よく事故が起こるけど。
言葉、映像、声色、顔色、その場の空気に殴られるような衝撃を受けて、頭がそれで一杯になる事故。もしかすると、それが起こった時には、衝撃を快く歓迎して、頭を捧げて、飲み込まれたほうが良いのかもしれない。衝撃の渦の中にいる時は、渦の中を泳ぐのに必死で、非現実に憧れる暇もないんだから。非現実から逃げられる。良いこと良いこと。

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