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第12回:僕は、人の目を気にする癖がある。

僕は、人の目を気にする癖がある。
この癖を持っている日本人は多いとか、

先日とあるキャリアコンサルタントさん(以後、Yさん)と面談をした。
自分の生い立ちから、直近の感じてる自分への疑問、自分に向いているかもしれない会社の話。自分にとって非常にためになる話が多かったので、書き留めておきたいと思う。

自分と話したことがあるひとは気づく癖かもしれないが、自分は言葉端に保険をかけることが多い。大阪の人の「知らんけど」みたいな感じで。
知らんけど。

言葉端に保険をかけているこのことを、Yさんは二元論に囚われていると表現した。
今回の面談の一つのテーマとなった、利己と利他を例にあげる。

「自分は利己の人間なんです。利他の人間のが良いって言いますけどね。」

こんな感じ。世の中、100%利己的な人もいなければ、100%利他的な人もいない。
でも、自分はこれを100:0で表そうとしてしまい、その保険に対照にあるものを言葉端にそえる。

なぜ、自分はこうなってしまったのだろうと、考える。

この話し方になったのは、上京してからだ。
こっちに来て、ビジコンを運営する学生団体に入った自分は、周りの論旨明快で将来について意見・意思をもつ人たちを前に自分もこうでなくてはならない、ロジックや会話がいかに論理的であるかといったことが見られるし、抜けがあると突っ込まれると思って過ごして来た節がある。
ちょっとでも隙を見せた話し方をしたら舐められるとまで感じていた。
特に社会人と話す時は、こいつ思考が浅いなと思われないように、この二元論に近い話し方によくなっていたなと思う。

こんな感じで、自分は人の目を気にする。

これがいいことか悪いことか、

なんてまた二元論の話をしようとしてしまった。

確かにこんな悪い側面もあるかもしれない。
でも、この癖がいい方向に動いたなと思うこともある。

人の目を気にする自分は、その分だけ人の目を見ている。
ちょっとした人の変化から、その人の感情の動きを考える。

この癖のおかげで自分はマネジメントが非常にしやすかったなと思う。

眉・目・首・口角なんかのちょっとした表情の変化、言葉のちょっとした違いに人よりは気づきやすいと思う。
このおかげで、何か言いたいことがあるのかな、今の選択は間違えていたかなあっていたかなといった判断がしやすくなった。

世の中全ては球状なのかな、なんて思う。
ある一方からはネガティブに見えることも、ちょっと角度を変えるとポジティブなことになる。二元論なんかではなく、見る角度によっていくつもの姿を見せる。

では、この言い方を自分は矯正していくのか。

結論、話し相手・話す環境に寄るが、その人その場に合わせて複数パターンを使いこなせる人間になりたいと思う。

この二元論のような話し方は、立場を明確にしなければいけない時や、議論を通して一つの成果を出さなければいけない時には重要になる。
ただ、だらっと持論を話すような場においては、だらっと二元論に囚われずに話して良いのだろうなと思う。

こういう使い分けができる人間になりたい。

他にもYさんと話していて発見はあったし、なんとなくの道も見えてきた。
改めて心からの感謝をYさんに。


田中 智貴 / Tomoki Tanaka
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